第3話

決裁印は私が押す

全社ミーティングの会場は、立ち見が出るほど埋まっていた。

正面には巨大なスクリーン。田所課長は最前列で、勝ち誇った顔をしている。

「では、新規プロジェクトの発表を――」

司会がそう言いかけたとき、会場の照明が落ちた。

ざわめき。

スクリーンに、一人の人物が立つ。背の高い、物静かな男性。

「お忙しいところ集まってもらった。私が話す」

結衣が私の隣で息を呑んだ。

「美咲、あれ……CEOの櫻井蒼(さくらいあお)じゃないか」

そう。スライドをめくるために登壇したのは、この会社の最高経営責任者、櫻井蒼だった。

「今日は、ある優秀な企画について話したい」

スクリーンに、見覚えのある企画書が映る。

私が三週間前に出し、ゴミ箱に捨てられた、あの地域物産プラン。

「これは半年前から、私の手元に届いていた。深夜のオフィスで、ゴミ箱から拾い上げたものだ」

課長の顔から、笑みが消えていく。

「拾うたびに驚いた。これほどの企画が、なぜ捨てられるのか」

蒼がスライドをめくる。

次に映ったのは――経費精算の記録。架空の出張。水増しの接待費。タイムスタンプ付きの横取りログ。パワハラの録音の文字起こし。

会場が凍りついた。

「これらはすべて、田所香織課長による横領、パワハラ、そして部下の手柄の横取りの証拠だ」

課長が立ち上がった。

「な、何かの間違いです! 私はそんな――」

「間違いではありません」

声を上げたのは、私だった。立ち上がり、まっすぐ課長を見る。

「地域物産プラン。作成者は私、作成日時は三月四日。課長が部長に提出したのは三月七日。私が書いて捨てられ、三日後に課長名義で出された。データが残っています」

会場の視線が、課長に集まる。

「架空出張も、日付を照合すればその日あなたは社内にいた。全部、事実が証明します」

課長の唇が震え、反論は出てこなかった。

蒼が静かに頷き、リモコンを次のスライドへ進めた。

課長自身の声が、会場に流れる。『若いくせに生意気な企画ね。はい、ボツ』

逃げ場はなかった。

会場の空気が、はっきりと変わった。

これまで課長の機嫌を取っていた先輩たちが、一斉に目を伏せる。半年間、見て見ぬふりをしてきた人たちだ。

蒼は淡々と続けた。

「私は感情で人を裁かない。だが、事実は別だ。ここにあるのは、すべて検証済みの証拠だ。経理、法務、外部の監査も入っている」

スライドが、また一枚進む。

過去三年分の、課長が握りつぶした若手の企画一覧。そのうちのいくつは、課長名義で発表され、評価されていた。

「組織を腐らせるのは、無能ではない。才能を潰して、自分の地位を守る人間だ」

「田所香織。横領一千二百万円、複数のパワハラ案件、企画の不正流用。本日付で、懲戒解雇とする」

警備が両脇に立つ。課長は崩れ落ちた。

「な、なんで……なんでCEOが、一社員の企画なんかを……」

蒼は、まっすぐ私を見た。

そして、よく通る声で言った。

「この企画を書いた藤宮美咲は――私の婚約者だからだ」

会場がどよめいた。結衣が「マジか」と口を押さえる。

私は立ち上がり、引き出しから出してきた指輪を、左手の薬指にもう一度はめた。

蒼が壇上から微笑む。

「彼女の企画は、本日から全社プロジェクトとして正式始動する。責任者は、もちろん藤宮美咲だ」

拍手が、波のように広がっていく。

私はゆっくりと、引きずられていく元課長の前を通り過ぎた。

「課長」

足を止めて、私は静かに告げた。

「あなたがゴミ箱に捨てた企画書――決裁印を押すのは、私の婚約者です」

課長は、もう何も言えなかった。

数か月後。私のプロジェクトは予想を超える成果を上げ、地域の物産は全国の食卓に届いた。

あの日、最前列で口を押さえていた結衣は、いまや私のチームの右腕だ。

「美咲、すごいよ。半年も一人で証拠集めてたんでしょ。私、何も気づかなかった」

「気づかれたら終わりだったからね。でも、結衣が毎日怒ってくれたから、心が折れなかった」

結衣は照れたように頭をかいた。

捨てられても、腐らなくてよかった。

拾ってくれる人を、信じてよかった。

蒼が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、私はその日の決裁書類に、自分の名前でサインをした。

ゴミ箱の底から始まった企画は、いま、誰にも捨てられない場所にある。

第3話 決裁印は私が押す

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『私の企画を毎日ゴミ箱に捨てるお局課長へ。』は、手柄を奪われ続けた若手社員が、黙って反撃の準備を進める物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。