赤い目が、近づいてくる。
ズン、ズン、と。
一歩ごとに、地面が揺れた。
逃げ場はない。扉は閉じている。
ポーションもない。武器は、錆びたナイフ一本。
「……マジか」
俺は震える手で、ナイフを構えた。
黒い巨体が、腕を振り上げる。
丸太よりも太い、鋼の拳。
来る――!
ガアアアアアッ!!
咆哮が、鼓膜を殴った。
拳が、振り下ろされる。
俺は転がるように、横へ跳んだ。
ドゴオオオン!!
俺がいた場所の床が、粉々に砕けた。
当たっていたら、即死だ。
心臓が爆発しそうだった。
でも――不思議と、頭は冷えていた。
(右の拳を振り下ろした後、左肩が0.5秒、無防備になる)
土壇場で、勝手に体が見ていた。
昔から、これだけは得意だった。
誰にも褒められない、ちっぽけな観察眼。
巨体が、また腕を上げる。
俺はその動きを、目で追い続けた。
筋肉の捻れ。重心の移動。鋼板の継ぎ目。
ダンジョンに潜るようになって、ひとつだけ気づいたことがある。
俺は、戦えない。力もない。
でも――"見る"ことだけは、誰よりも速い。
拓海たちが「カンが良いだけのまぐれ」と笑った、その目で。
その時、左肩の鋼板に――一筋の、ヒビ。
古い傷跡のような、わずかな亀裂。
そこだ。
なぜか、確信があった。
あそこが、こいつの"弱点"だ。
俺はリュックの底から、親父の石を取り出した。
黒鉄鋼。価値ゼロのガラクタ。
握った瞬間、石がカッと熱を持った。
「……っ!」
錆びたナイフに、石を押し当てる。
すると――刃が、黒く輝きはじめた。
何が起きてるのか、分からない。
でも、考えてる暇はない。
黒鉄鋼――鋼の魔物だけを断つ、対裏ボスの希少鉱。
そう知ったのは、すべてが終わった後のことだ。
『これだけは、肌身離さず持っておけ』
親父の声が、頭の奥で響いた気がした。
もしかして、親父は。
この石の正体を、知っていたのか――?
巨体の拳が、振り下ろされる。
今だ。
俺は地を蹴った。
振り下ろされた腕を、滑るようにかいくぐる。
左肩の、亀裂。
そこへ向かって、全体重を乗せた拳を――。
「うおおおおおおっ!!」
突き出した。
ズドンッ!!!
鈍い音。手応えは、羽根のように軽かった。
直後。
巨体の全身に、亀裂が走った。
ピシ、ピシ、ピシッ――。
光が、内側から漏れ出す。
そして。
ドオオオオオオオン!!!
漆黒の裏ボスが、粉々に砕け散った。
「……は?」
立ち尽くす俺の前で、光の粒子が舞い上がる。
倒した。
あんな化け物を、一発で。
膝が、がくがく震えた。
助かった。生きて、帰れる。それだけで、涙が出そうだった。
足元に、見たこともない宝箱が出現していた。
裏ボスのドロップ。きっと、とんでもない代物だ。
でも今は、それどころじゃなかった。
その時――。
ポケットの中で、スマホが、異常な振動をしていた。
ブブブブブブブブッ!!
取り出して、画面を見る。
『LIVE配信中』
視聴者数の数字が、ものすごい勢いで回転していた。
12,847……89,201……503,668……。
「……え」
コメント欄が、滝のように流れていた。
『今の見た!?』
『ワンパン!!??』
『隠しボス"獄鉄王"を一撃wwwww』
『この配信者誰!? 登録者0人!?』
『切り抜き作るわ』
『拡散希望!!!!』
『え、ガチでバグじゃないよな?』
『運営も発見してない隠しボスだぞこれ』
『神channel降臨』
『天才現る』
『なんで登録者0なんだよおかしいだろ』
数字が、止まらない。
100万。200万。300万。
きっと、あのバグが原因だ。
あの時の、スマホの『配信機能:再起動中』。
切ったつもりの配信が、勝手にオンに戻っていたんだ。
よりにもよって、世界中が見ている前で。
「ちょ、ちょっと待て、これ……っ」
俺の、震える声まで。
全世界に、生配信されていた。