第2話

収穫量、十倍

「固まった……石が、水を堰き止めている……!」

村人たちが、堤の前で声を失った。

谷を見下ろす丘で、俺は腕を組んで完成した堰を眺めていた。

石灰を焼き、土と砂利を混ぜて練り、木枠に流し込んで固めた堤。前世で言うコンクリートだ。

雨季の濁流が押し寄せても、びくともしない。それどころか、計算通り水を遊水地へ逃がし、谷の溜め池を満々と満たしていった。

「新八郎さま! 川が、田んぼに水を運んでます! 上の段まで、全部!」

さよが、泥だらけの顔で駆け上がってきた。

俺は頷いた。

「水路を引いて、高いところまで水が回るようにした。これで、雨の多い少ないに振り回されることはない」

去年まで、雨が降れば田を流され、降らねば干上がっていた谷。

その水を、人の手で完全に支配する。

これが、土木の力だ。

「だが、水だけでは米は実らん。次は土だ」

俺は田の一角を指した。そこには、稲ではなく、見慣れぬ豆の苗が植わっている。

「れんげと大豆だ。根に養分を溜める。これを土に鋤(す)き込めば、痩せた地が肥える。それと――」

俺は懐から、小さな袋を取り出した。中には、選び抜いた稲の種籾(たねもみ)が入っている。

「実りのいい株から種を選んで、毎年いいものだけを残す。冷えに強く、倒れにくい稲を、この谷の土に合わせて育てる」

品種改良。前世の農協で、嫌というほどやった仕事だ。

一年では変わらない。だが二年、三年と積み重ねれば、収穫は化ける。

「それと、肥やしだ。糞尿を捨てるな。藁や落ち葉と混ぜて寝かせれば、上等な肥料になる。臭いのは最初だけだ」

村人たちは顔をしかめたが、俺は構わず続けた。

「米が穫れれば、その臭いも黄金の匂いに変わる。やってみせる」

「さよ。村の女衆を集めてくれ。種籾の選別を教える」

「はいっ!」

さよの返事に、もう迷いはなかった。

二年が過ぎた。

谷は、見違えた。

段々に整えられた田が、黄金色の稲穂で埋め尽くされている。穂は重く、頭を垂れ、風に揺れるたびに波打った。

「……一反で、五石を超えました」

帳面を握ったさよの手が、震えていた。

「去年までは、よくて一反(いったん)五斗。それが……十倍です」

村に、餓死者は一人も出ていない。それどころか、米が余り、蔵に積み上がっていく。

噂は、谷を越えて広がった。

ある日、谷の入り口に、見慣れぬ装束の一団が現れた。

先頭の男が、馬上から谷を見渡し、低く唸った。

「これが、噂の春日谷か」

商人ではない。物腰に、ただならぬ威がある。

「俺は織田家の使いだ。信長(のぶなが)さまが、この谷の米と石の堤に、いたく興味を持たれてな」

俺の背に、緊張が走った。

「黄金郷を造った男に会ってこいと。――おぬし、名は」

「黒田新八郎」

「黒田? あの、戦に弱いと評判の黒田家か」

俺は静かに答えた。

「兄たちは武で、俺は米で家名を残す。それだけのことです」

使者は、しばらく俺を見つめ、それから不敵に笑った。

「面白い。信長さまは、強い者より、役に立つ者がお好きだ。覚えておけ。おぬしの名は、もう天下に届いている」

一団が去ったあと、さよが青ざめた顔で俺を見た。

「新八郎さま……これは、よいことなのですか。それとも――」

俺は谷を見渡した。

黄金の稲、頑丈な堤、満ちた溜め池、そして、笑顔の村人たち。

二年前、ここで土下座のように並んでいた、痩せこけた人々の姿は、もうない。

「いいことだ。俺たちは、もう誰にも飢えさせられない」

その時、谷の外から、別の早馬が駆け込んできた。

息も絶え絶えの伝令が、地に膝をつき、声を絞り出す。

「申し上げます! 重盛さま、政之さま……ご両所、隣国との戦に大敗! 兵糧尽き、城は包囲され――」

俺は、ゆっくりと目を閉じた。

来るべきものが、来た。

第2話 収穫量、十倍

ページの先頭へ

BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『軟弱者と追放された戦国武将の俺、前世の土木知識で最強の黄金郷を作る。』は、飢えの土地へ追放された若武者が、前世の知識で領地を立て直す物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。