第2話

マイク、切り忘れてますよ

『今日で狼丸、ラストです。短い間でしたが、ありがとうございました』

最後の配信。同時接続、二百八十人。

いつもよりは多い。義理、というやつだ。

俺は努めて明るく喋った。

泣き言は言わない。それだけは決めていた。

思い出話をした。

登録者百人で泣くほど嬉しかったこと。深夜にコメントゼロでも喋り続けたこと。

低音すぎて「電話だと思った」と笑われたこと。

コメントが流れる。

おつかれ狼丸

低音ボイスすこだったのに

朝までいるよ

ねこまんま姉さん:最後まで見届けるよ!

ねこまんま姉さんのコメントに、少しだけ救われた。

こんな底辺配信でも、見てくれている人がいる。それだけで、十分だった。

二時間ほど雑談して、配信を締めた。

『それじゃ、みんな、元気で。狼丸でした』

配信終了ボタンを押した――つもりだった。

実際には、押せていなかった。

配信ソフトはまだ生きていて、マイクは音を拾い続けていた。

画面には小さく「LIVE」の赤い文字。俺は気づいていない。

椅子の背にもたれて、俺は大きく息を吐いた。

「……はー。終わったな」

ひとり言が、そのまま全世界に流れていた。

「クビかぁ。まあ、しょうがないよな。声、変えられないし」

キッチンへ向かう足音。冷蔵庫を開ける音。

「あー、今日のご飯ももやし炒めかぁ」

じゅう、というフライパンの音。

「……お姉さん達に、美味しいご飯作ってあげたいなぁ」

ぽつり、と。

誰に聞かせるでもない、本当の本音だった。

「ねこまんま姉さんとか、ちゃんと飯食ってんのかな。あの人、いつも夜中に来るからさ。ちゃんと寝ろよって、いつも思ってんだよ」

もやしを炒める音。

「俺の声で、ちょっとでも、誰かが落ち着いて寝てくれてたなら……それで、よかったのかもなぁ」

俺は気づいていなかった。

コメント欄が、もう静かにざわつき始めていたことに。

え、まだ配信ついてる

マイク切り忘れてますよ狼丸さん!!!

待って、今の独り言なに

皿に盛る音。

椅子に座って、ひとりで「いただきます」と呟く声。

「売れる声じゃなくても、さ。誰かのことを、ちゃんと思って喋ってたつもりなんだけどな」

いや切らないで

今の声、心臓に悪い

ねこまんま姉さん:私のこと、心配してくれてたの……?

箸を置く、小さな音。

「……まあ、いいか。お疲れ、俺」

――その独り言を最後に、配信のコメント欄が、爆発した。

数字が、おかしな速度で増えていた。

二百八十人。

五百。千。

拡散します

「もやし炒めかぁ」が尊すぎる

低音でこの素朴さは反則

このギャップで売れないわけないだろ事務所何見てた

#狼丸の本音 がトレンド入りしてる

海外ニキも来てて草 翻訳されてる

切り抜きアカウントが、もう動き出していた。

「【神回】底辺VTuberがマイク切り忘れた結果」というタイトルの動画が、投稿されてわずか数分で、リポスト一万件を超えていく。

俺はまだ、台所にいた。

もやしを炒めながら、まだ何も知らない。

スマホの通知が、止まらない。震えっぱなしだ。

何事かと配信画面に戻った瞬間――息が止まった。

同時接続、四万八千人。

コメントが、滝のように流れて読めない。

そして画面の右端を、見たことのない色が埋め尽くしていた。

赤。

真っ赤な、スーパーチャット。

¥10,000 ねこまんま姉さん:ちゃんと寝てるよ。あなたの声のおかげで。

¥50,000 もやし炒め食べたい姉さん:ご飯作ってあげたい?こっちのセリフよ!!

¥30,000 夜勤明け姉さん:低音ASMRより効く本音だった

¥20,000 三十路独身姉さん:この人の前でだけ、肩の力が抜ける

¥10,000 こっそり既婚姉さん:もやし炒め、私が習いたい

俺は呆然と、その色を見ていた。

何が起きているのか、まるで理解できなかった。

ついさっきまで、二百八十人だったのに。

ただ、流れていく名前の中に、見覚えのあるものが、いくつもあった。

いつも静かに、最後まで残ってくれていた、あの常連たちだった。

通知欄に、知らない名前が一件。

篠塚から、十七件の着信。

画面の隅で、赤が、雪崩のように降り続けていた。

第2話 マイク、切り忘れてますよ

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『「もやし炒めかぁ」——切り忘れた本音が、世界中のお姉さんを落とした件。』は、事務所をクビになった底辺VTuberの、飾らない一言が世界に届く物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。