一晩で、世界が変わった。
切り抜き動画「【神回】マイク切り忘れた底辺VTuberの本音が優しすぎる件」は、三日で二千万回再生。
チャンネル登録、九十万人。
赤スパは、止まらなかった。
あの夜だけで、八百万円。
あれから一週間で、累計はとっくに億を超えていた。
世界中の「お姉さん」たちが、俺を見つけてしまったのだ。
夜勤の看護師。子育てで疲れた母親。残業帰りのOL。
「もやし炒めかぁ」というたった一言が、彼女たちの何かに突き刺さったらしかった。
俺はもう、事務所に所属していない。
契約は解除済み。アバターの権利も――。
「アバター、回収しないんですか?」
電話の向こうで、篠塚の声が裏返っていた。
「いやいや! あれは事務所の資産で! ……いや、回収はしないよ! むしろ、君に無償で譲渡する! だから戻ってきてくれ!」
手のひらの返し方が、見事すぎて笑えた。
「狼丸くん、いや森田くん! 君の才能、私は最初から見抜いてたんだ。だから手元に置いてただろう?」
「手元に、ですか」
「そうそう! 育成枠というか、原石というか! あの低音、唯一無二だって、ずっと言ってたじゃないか!」
言っていない。
むしろ正反対のことを、面と向かって言われた。
「『声がオッサン臭くて売れない』って、おっしゃってませんでした?」
「えっ、いや、それは、戦略的な……愛のムチというか」
「もやし炒めの作り方じゃ四十万人取れない、とも」
「…………」
「篠塚さん。今、俺の登録者、九十万人なんですよ。料理配信だけで」
電話の向こうが、静まり返った。
「あの日、言いましたよね。努力は伸びる場所でやらないと意味がないって」
「いや、それは」
「正しかったですよ。俺、伸びる場所、自分で見つけたんで」
「狼丸く――」
「もやし炒めの作り方で、四十万人、取れました」
「戻る理由が、ないんです。すみません」
俺は通話を切った。
着信拒否のリストに、篠塚の番号を追加した。
不思議と、怒りはなかった。ただ、すっきりしていた。
入れ替わるように、同期のレオから通話。
『大地さーん! 久しぶり! いやー、コラボしません? 俺と大地さんでさ、絶対バズるって!』
数か月前、俺の声を「ホラー」と笑った男だ。
「レオ、お前さ」
『はい?』
「最初から思ってたんすよ、って言ってたよな。中身の年齢、隠せてないなって」
『え……あの、それは、その』
「いい声してても、中身が漏れるって、ほんとだよな」
『……っ』
「お疲れっした」
通話を切った。
こっちのセリフを、そっくり返してやった。
その夜。
俺は新しい配信を立ち上げた。
タイトルは『お姉さん達に、ご飯作る配信』。
同時接続、十二万人。
『えー、今日はですね』
キッチンにカメラを向ける。
『リクエスト一位の、もやし炒めを作ります。ちゃんと、マイク入ってますからね』
コメントが、どっと笑いで埋まった。
切り忘れんなよ二度とw
もう一生ついていきます
ねこまんま姉さん:今日もちゃんとご飯食べました。あなたのおかげで。
フライパンを熱する。
じゅう、と、いつもの音。湯気が立つ。
『この音、好きなんすよ。俺』
¥10,000 夜勤明け姉さん:その低音で言われると泣く
¥100,000 ねこまんま姉さん:ずっと、あなたのご飯が食べたいです
赤い文字が、また画面を流れていく。
でも、もう怖くなかった。
俺は、もやしを炒める。
誰かの夜が、少しでも温かくなるように。
『お姉さん達に、美味しいご飯。これからも、ちゃんと作りますね』
オッサン臭いと笑われた声で、俺は静かに言った。
塩だけのもやし炒めは、あの夜より、ずっと旨かった。