第36話

同じ網

やってみないと、わからない――そう言いかけて、澪(みお)はもう手を動かしていた。

昨夜、警察の死骸の上に描いた網。その形が、まだ指の先に残っている。根の手繰り方さえ覚えてしまえば、次からは片方からでも辿れる。ゆうべ自分でそう零したのを、澪は放っておけなかった。

いつも開きっぱなしの、自社のログ。マコトの生のフィード。湧いた端から弾いてはまた湧く、見飽きた数字の滝。これまで、この滝とはずっと一枚ずつ殴り合ってきた。一件消す間に、三件湧く。個別退治は、負け筋。ヒドラと同じだと、澪はもう知っている。

「この網、警察の山のためだけの道具じゃない」澪は呟(つぶや)いた。「毎晩、うちで湧いてる連中にも、そのまま効くはずよ」

「ちょっと待て」御子柴(みこしば)が後ろから言った。

「その網は、金の流れがある警察のデータで作ったんだろ。うちのフィードに金の層はない。凍結口座もIPの帯もない。あるのはクリック率と、滞在時間と、通報の履歴だ。――種類が、噛み合わないんじゃないのか」

まっとうな問いだった。澪は画面から目を離さずに答える。

「点の中身は、たしかに違う。あっちは死んだ口座、こっちは活きた広告の反応。並べても、形式が違いすぎて普通なら流用できない」

「でも――」

「私の網が見てるのは、点の中身じゃないの。“繋がり方”のほう」

澪はグラフの設定を組み替えながら、言葉を続けた。

「異種グラフっていう網を使ってる。ノードの種類が違ってもいいの。口座も、アカウントも、広告も、同じ図の上に置ける。繋がり方の骨組みさえ同じなら、機械は“これは同じ敵だ”って見抜く。――だから、あっちで組んだ網は、こっちにそのまま流用できる」

「要するに、データは異なるが、アルゴリズムは同じということ」

「そう。うちのデータに型をあわせて使うだけ」

うちには標本が全部ある、と澪は思う。毎晩、黙って捨ててきた自社の死骸。何ヶ月も、検知が吐き出しては積み上げてきた記録の山。世間で何が起きてるか知りたいなら、まず足元を、同じ網で掘ればいい。

網を、マコトのフィードへ向ける。

だが、滝は像を結ばなかった。

点は散らばったまま、線が伸びない。あるいは、あらぬところで線が太る。警察のデータで慣らした網は、金の層を前提に重みを振っていた。そこがマコトには丸ごと無い。ぽっかり空いた特徴の穴を、網は勝手に別のもので埋めようとして、無関係な人気アカウントを一つ、真ん中に据えてしまった。

「……違うわね」澪は、その塊を摘まんで外した。「金の欄が空だから、代わりに“よく踏まれてる”を要にしてる。それはただの人気者よ。詐欺じゃない」

穴を、埋め直す。金の流れが無いぶん、こちら側にしかない特徴を厚くする。同じ広告文の使い回し。着地の外部誘導。作られてすぐの、噴くように動くアカウント。骨組みの、どの辺を重く見るか。澪は何度か重みを振り直し、そのたびに滝を掃き、外れた塊を捨てた。

やがて、滝のあちこちに、見覚えのある編み目が、ぼうっと浮かび上がってきた。

金の層を見せていないのに、アカウントの繋がりだけで、リングがまとまって像を結んでいる。

「――ほら」澪は呟いた。「アカウントだけでも、引けた」

澪は軽くキーを叩いた。

それまで一枚ずつ、ぽつ、ぽつ、と落ちていた滝が、変わった。一つの塊から伸びた何十という枝が、画面の上でひとかたまりの輪郭を結ぶ。澪がその輪郭ごとすっと指で囲むと、数十件の詐欺アカウントが、まとめて滝から消えた。

御子柴が、息を呑んだ。

これまでは一件落とす間に、三件湧いていた。いまは、湧く速度に、落とす速度が、初めて追いついている。

御子柴には、澪が何をしているのか、正確には見えない。ただ、いつも自分たちが端から掬(すく)っては溢れさせていたバケツの水が、澪の指が動くたびに、束ごと、音もなく引いていくのはわかった。手で数えるのを、この人はやめたのだ。数えるのをやめて、束ねることにした。それだけのことが、これまで誰にもできなかった。

「枝を数えるのをやめて、胴を掴んだ。それだけよ」澪は淡々と答えた。「でも、これで終わりじゃない。根は明日も場所を変える。一回掃いて片づく相手じゃないの」

澪はふと、画面の縁を見た。マコトから、外へ出ていく金と、データの流れ。網はそこまでは、きれいに描く。

「ここまでね」澪は、低く言った。

「ここまで、とは」

「私が描けるのは、金とデータが“どこへ流れたか”まで。誰が、それを故意に流したのか――そこは、外からじゃ見えないの」

御子柴が、その横顔を見た。

「同じ流れでも、盗まれて漏れたのか、誰かが承知で出したのか、外形は変わらない。中身の意図は、繋がり方には書いてないのよ」澪は、淡々と続けた。「そこを埋めようとしたら、私は繋がってない線を“繋がってる”ことにするしかない。――それは、しない」

嘘の道具にはならない。技術を、あるべきでない向きに歪めない。それだけが、澪が自分に引いている一線だった。網は、見えるものだけを見せる。見えないものを、見えたことにはしない。

「充分だ」御子柴が言った。「その一線が、君の解析を信用に足るものにしてる」

澪は答えなかった。ただ、地図の縁で、線の伸びなかった外側が、そのまま白く空いているのを、一度だけ確かめた。埋めれば絵になる。埋めない。それだけの話だった。

――数時間後。机の上には、二つの地図が並んでいた。

自社のフィードから炙(あぶ)り出した、ネットワーク単位の一覧。そして、金の通る要の口座を暴(あば)いた、根の地図。撃たれている側と、撃っている側の骨格。片方は活きたマコトから、片方は死んだ死骸から。別々の入口から掘って、同じ生き物の胴へ行き着いていた。

澪の肩から、力が抜けた。椅子の背に、倒れ込む。

「これは、私が獲るものじゃない」

澪は、二つの地図を、御子柴のほうへ滑らせた。

「私にできるのは、ここまで。あとは、これを警察に届けるだけ」

御子柴の目が、地図の上を滑った。ばらばらだった被害が、初めて一つの構造として、そこに載っていた。何を訊けばいいのかわからない、と言っていた刑事たち。その問いの答えが、いま、二枚の紙になっている。

「これがあれば、警察も、ようやく“何を調べればいいか”を決められるな」御子柴は、スマホを手に取った。「県警に一報入れる。構造が見えた、と」

澪は、半分眠りかけた声で呟いた。

「地図は、できた。網は、自社でも回り始めた。あとは、これが――要る人に、届けるだけ」

第36話 同じ網

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『ベイズの千里眼』は、データで嘘を見抜く天才と、彼女を支えるクール王子が、小さな会社を育てていく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。