第31話

監査は、予定どおりに来た

暦(こよみ)が指一本動かさないうちに、翔太(しょうた)の父親の会社は、勝手に崩れた。

崩したのは、暦じゃない。あの会社が、自分でついた嘘だった。

それから、一週間も経たなかった。

学校で、翔太が、目に見えておかしくなった。

いつもの取り巻きに囲まれて大声で笑う姿が、消えた。休み時間のたびに廊下の隅でスマホを耳に当て、青い顔で、早口で誰かと話している。父の名刺を笠に着る余裕は、どこにもなかった。

噂は、すぐに回った。

翔太の父親の会社に、定例監査が入った。

あとになって、暦が教えてくれた。如月グループの定例監査は、十年に一度だけ、まるきり別物になるのだと。数字の辻褄が合っていれば通る、いつもの監査ではない。帳簿を、一枚残らず。伝票を、現物と、一つずつ。ごまかしは、利かない。

十年前も、その前も、決まった年に来ていた。何十年も続いている、ただの慣例。特別なことは、何ひとつない。

――そして、今年が、ちょうどその、十年目だった。

そして、架空の取引が、あばかれた。

納品されたことになっていて、実際にはどこにも入っていない資材。宙に浮いた伝票。水増しした請求。何年も続けてきた嘘が、一枚残らず、白日のもとに引きずり出された。

如月グループのコンプライアンス部門は、機械のように、淡々と処理した。契約違反による、即時の取引停止。損害の返還請求。ほかの取引先も、蜘蛛の子を散らすように離れていった。

情けも、私情も、そこにはなかった。ただ、規則が、規則どおりに動いただけだ。嘘をついた者は、契約に従って、退場する。それだけの、ことだった。

会社は、あっという間に、立ち行かなくなった。

自業自得、という言葉が、これほど当てはまる話も、そうはないだろう。何年も水増しの請求を続けてきて、それがばれただけだ。誰かに陥れられたわけじゃない。自分の嘘の重さで、自分から沈んだのだ。

翔太は、学校で、坂を転がるように、居場所をなくしていった。

金の余裕を笠に着ていた男から、その笠が消えると、取り巻きは潮が引くように離れた。かつて翔太のまわりで笑っていた連中は、もう、別の誰かの周りで笑っている。俺の話を「金の力」と嘲ったときの、あの威勢は、どこにもなかった。

因果というのは、こういうものかもしれない。誰かが手を下すわけでもなく、ただ、支えていたものが抜けると、人は、あっけなく崩れる。

俺は、その報せを、タワーマンションで聞いた。

暦は、いつもと変わらず、俺の湯呑みを、右手の届く角度に置いた。

「暦」

俺は、原稿から顔を上げて、聞いた。声が、少し掠れた。

「これ……本当に、君は、何もしてないんだよな」

聞かずには、いられなかった。あの夜、暦は、たしかにスマホから手を離した。灰色の書類も、引き出しにしまった。手を出さないと、約束してくれた。

でも、あまりにも、都合がよすぎた。まるで、暦が指を鳴らしたみたいに、あの会社は、勝手に崩れたのだ。

暦は、俺のほうを見た。

そして、いつもの、静かな微笑みを浮かべた。

「わたくしは、何もしていません」

一度、そこで言葉を切って。

暦は、ほんの少しだけ、目を細めた。

「私は、何もしていません。……今回は」

ぞくり、と背筋が震えた。

わたくし、が、私に、なった。

嘘は、ついていない。暦は、本当に、指一本、動かしていない。監査は、決まった年に、予定どおりに来ただけだ。あばかれたのは、あの会社が、自分でついた嘘だ。

因果が、巡っただけだった。

俺が止めたから、暦は手を汚さなかった。手を汚さなくても、嘘をついた者は、自分の嘘の重さで、勝手に沈んだ。

暦は、たぶん、最初から、わかっていたんだ。自分が動かなくても、あの会社は、遠からず自分で崩れると。だから、あの夜、俺に止められたとき、あんなにあっさり、引き下がったのかもしれない。

「わたしが、何もしなくても」。引き出しを閉める間際の、あの小さなつぶやきが、耳の奥でよみがえった。

「……今回は、って」

俺が聞き返そうとした、そのときだった。

暦は、もう、次の話を始めていた。

「それより神様、今日の更新、時間は零時でよろしいですか」

いつもの、信仰の顔で。何事もなかったように。

俺は、その先を、聞けなくなった。

暦は、俺を笑った人間を、絶対に許さない。でも、その手は、汚さない。汚さなくても、間違ったことをした者は、自分で沈む。そのことを、この人は、たぶん、俺よりずっと前から、知っている。

だから「今回は」なんだ。今回は、何もしなくてよかった。因果が、勝手に片をつけてくれたから。

じゃあ、次があったら――暦は、どうするんだろう。

その問いを、俺は、口にできなかった。湯呑みから立ちのぼる湯気の向こうで、暦は、もう、いつもの、俺の話だけを見つめる目に戻っていた。

第31話 監査は、予定どおりに来た

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『零時の神様』は、PV一桁の底辺WEB作家と、彼の小説を崇める氷の令嬢の物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。