第32話

その言葉、どこかで

三年前、優奈(ゆうな)が俺に投げつけた言葉が、そっくりそのまま、優奈に返ってきた。

投げ返したのは、翔太(しょうた)だった。

放課後の、昇降口。

俺は、たまたま、その場に居合わせてしまった。

翔太が、優奈を、突き放していた。

「もう、俺に関わるなよ」

翔太の顔から、あの余裕の笑みは、消えていた。実家が崩れて、笠に着るものを失った男の、剥き出しの、冷たい顔だった。

「うちが今、どんな状況かわかってんの? おまえの相手なんか、してる暇ねえんだよ」

「そんな……ひどいよ、翔太。わたし、ずっと味方だったのに」

優奈が、すがりつこうとした。翔太は、その手を、うるさそうに払った。

そして、言った。

「おまえさ、正直、前から思ってたけど――イタいんだよ」

昇降口の空気が、凍りついた。

「金があるうちだけすり寄ってきて、なくなったら関係ないって顔で次探して。見てて、ほんと、イタいわ」

優奈の顔から、血の気が引いていくのが、遠目にも、わかった。

その言葉を、俺は、知っていた。

三年前。放課後の教室で。俺の書きかけの原稿をのぞき込んで、優奈が笑いながら言った、あの言葉。

『こんなの誰が読むの? 蓮(れん)って、ほんとイタいよね』

同じ言葉が、今、同じ形で、優奈に突き刺さっていた。

翔太は、もう振り返りもせず、昇降口を出ていった。取り巻きは、とっくにいない。ひとり残された優奈は、その場に、立ち尽くしていた。

俺は、胸がすくとは、思わなかった。

ざまあみろとも、思わなかった。

三年前、あの言葉に、俺は静かに折れた。誰が読むの、イタいよね。たった一言だったのに、あれから俺は、原稿を誰かに見せるのが、こわくなった。ずっと、こわいままだった。

その言葉が、いま、優奈自身に、まっすぐ返っていく。

けれど、それを見ても、心は晴れなかった。

ただ、風が、通り抜けていくみたいな、静かで、空っぽな心地がした。

自分の投げた石が、三年かけて、ぐるりと世界を回って、自分の額に返ってくる。それを、俺は、目の前で見た。誰かが罰したわけじゃない。翔太は、優奈をこらしめようとしたわけでもない。ただ、言葉が、めぐって、帰ってきただけだ。

因果というのは、たぶん、こういうものなんだろう。派手でも、劇的でもなく。ただ、静かに、つじつまが合う。

俺は、暦(こよみ)のことを、思った。あの人は、翔太の父親の会社に、指一本、触れなかった。それでも、翔太は崩れた。優奈は、自分の投げた言葉で、自分が刺された。

誰も、手を汚していない。誰も、罰していない。

それなのに、間違ったことをした人間から順に、静かに、報いを受けている。まるで、世界そのものが、帳尻を合わせているみたいに。

こわい話だと思った。でも、それは、俺がずっと書いてきた話とも、どこか似ていた。派手な逆転も、劇的な復讐もない。ただ、生きた事実と、投げた言葉だけが、いつか必ず、そのひとのもとへ帰っていく。

俺は、その場を、そっと立ち去ろうとした。

こんな顔をした優奈を、見ていたくなかった。

だが、俺が背を向けかけたとき。

優奈が、顔を上げた。

そして、俺と、目が合った。

涙で濡れた目が、大きく見開かれて、俺を捉える。

その目の奥に、俺は、いやなものを見た。すがるものを失った人間が、次の岸を探す、あの、必死な光だ。

翔太という岸を失った優奈が、次に見つけた岸。それが、一位になった、俺だった。

三年前、俺の原稿を笑った優奈。この初夏、俺を捨てた優奈。十日ほど前、俺の一位にすり寄ってきた優奈。そして今、翔太に捨てられて、また、こっちを見ている優奈。

同じことが、ぐるぐると、繰り返されている。この子は、たぶん、それに気づいてすらいない。

「……蓮」

震える声で、優奈が、俺の名を呼んだ。

一歩、こちらへ、踏み出してくる。

三年前なら、俺は、この一歩に、心を揺らしていたかもしれない。幼馴染に頼られる。それだけで、舞い上がっていたかもしれない。

でも、もう、俺は、あのころの俺じゃなかった。

俺は、動かなかった。逃げもしなかった。

この子に、ちゃんと、言わなきゃいけないことがある。仕返しでも、当てつけでもなく。ただ、はっきりと、終わりを告げる言葉が。

もう、逃げるのは、やめようと思った。

第32話 その言葉、どこかで

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『零時の神様』は、PV一桁の底辺WEB作家と、彼の小説を崇める氷の令嬢の物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。