第42話

一生分の、連載を

「となりに、立ってもいいのですか」

暦(こよみ)のその問いに、俺は頷いた。

「ああ。……ただ、ひとつだけ、約束させてくれ」

俺は、姿勢を正した。

こういう大事なことを、俺はいつもうまく言えない。学ランのボタンをかけ違えるみたいに、肝心なところで言葉がつっかえる。それでも、これだけはちゃんと伝えなきゃいけなかった。

三年間の零時二分(れいじにふん)に報いる言葉を。彼女が握ってくれた、たった一つの一に返す言葉を。

「神様と信者は、やめる」

俺は、言った。

「でも、俺と君が、ばらばらになるって話じゃない。切れるんじゃなくて、結びなおすんだ。……もっと、対等で、もっと、長く続く形に」

暦は、じっと俺を見ていた。

「俺は、これからも書く。書き続ける。君は、それを読む。読み続けてくれ。俺が更新して、君が感想をくれる。誤字を見つけて、伏線を読み解いて、そのたびに、となりで、ああだこうだ言い合う。……そういうのが、いい」

作家と読者なら、上も下もない。崇めなくていい。跪かなくていい。ただ、次の話を、いっしょに待てばいい。それは、命を懸けるような、こわい関係じゃない。もっとゆるくて、もっと、長く続くものだ。

俺は、息をひとつ吸った。

「神様と信者じゃなくていい」

窓から差す冬の光が、暦の銀の髪を白く照らしていた。

「……作家と、読者でいい。一生分の連載を約束するから」

暦の唇が、わずかに開いた。

「一生分の……連載」

「ああ」俺は、少し照れて、視線を逸らした。「俺が死ぬまで、書く。君が、いちばん最初に読む。零時二分じゃなくてもいい。何時だっていい。俺は、君のために書き続けるし、君は、俺を読み続ける。……それなら、神様がいなくても、君は、朝を待てるだろ」

一生分、と口にしてから、俺は内心、少し焦った。一生、なんて大きな言葉を、俺みたいなのが使っていいのか。耳が、じわりと熱くなった。

でも、後悔はなかった。三年間、零時二分に俺を待ち続けた人だ。この人の一生ぶんくらい、俺が書き続けたって、罰は当たらない。むしろ、それが、俺にできる、たった一つの恩返しだった。

作家が書くのをやめない限り、読者の明日は、続いていく。

あなたが消えたら、わたしの朝は、二度と来ないと思いました――あの雨の日の話をした彼女に、俺が返せる答えは、それしかなかった。

命綱じゃなくて、約束。

一本の綱で吊り合うんじゃなく、同じ道を、並んで歩いていく。片方が転んでも、二人とも崖下へ落ちるんじゃなく、もう片方が、手を貸せる距離で。それが、俺たちの、いちばん自然な形だと思った。

暦は、しばらく動かなかった。俺の言葉が、体の奥まで降りていくのを待っているみたいだった。

やがて、その瞳から、涙が静かにあふれた。頬を伝っていくのを、彼女は、拭おうともしなかった。

昨日みたいに、崩れる涙じゃなかった。氷が時間をかけて溶けていく、ゆっくりとした涙だった。長いあいだ張りつめていたものが、ようやくほどけていく涙だった。

彼女は、三つ指をつかなかった。

跪(ひざまず)きも、しなかった。

ただ、俺のとなりへ、少しだけ身体を寄せた。同じ高さで、同じ景色を見るみたいに。肩が触れるか触れないかの、まだぎこちない距離だった。三年間、零時二分の画面ごしにしかいなかった距離が、いま、ちゃんと手の届くところにあった。

そして、小さく、けれどはっきりと言った。

「はい」

冬の光の中で、暦は、微笑んだ。

「……よろしくお願いします、先生」

俺は、息を、のんだ。

神様、じゃなかった。

三年間、彼女が俺を呼び続けた、跪くための、たった一つの呼び名。それが、いま、並んで歩くための呼び名に変わった。

先生。

作家を呼ぶ、読者の言葉に。

俺は、なんて返せばいいのかわからなくて。ただ、となりに座る彼女の、その言葉の重さを、しばらく噛みしめていた。

神様と、先生。たった二文字の違いだった。けれど、その二文字の間に、俺たちは、ずいぶん長い道のりを歩いてきた気がした。

それは、神様と呼ばれるより、ずっと、こそばゆくて。そして、ずっと、あたたかかった。

「先生」

暦は、もう一度、その言葉を確かめるように口にした。まだ慣れない響きを、大事に、転がすみたいに。

「よろしく、お願いします」

「ああ」俺は、頷いた。「こちらこそ。……一生、よろしく」

第42話 一生分の、連載を

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『零時の神様』は、PV一桁の底辺WEB作家と、彼の小説を崇める氷の令嬢の物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。