第37話

偶然では、ありません

蛍光灯が、じじ、と鳴っていた。

おあいこだ、と俺は言ったばかりだった。俺が彼女を生かして、彼女が俺を生かしていた。三年間、零時二分(れいじにふん)の両側で。そう思って、胸がいっぱいになっていた。

なのに、暦(こよみ)は、三つ指をついたまま、動かない。

顔を、上げない。

「……暦?」

「おあいこでは、ありません」

畳に向かって、暦は、そう落とした。

「そう言っていただける資格が、わたしには、ないのです。……ずっと、申し上げられずに、おりました」

暦が、ゆっくりと、顔を上げた。

その目が、まっすぐ、俺を見ていた。氷でも、やわらかいほうの声でもない。ただ、覚悟を決めた人の目だった。

「あの日の、公園です」

「……公園?」

「わたしたちが、初めて話した日。雨の、夕方でした」

俺は、うなずいた。あの日のことは、何度も、思い返している。夢みたいな一日だったから。

高級な傘。雨に濡れた画面。震える指。

「あれは」

暦の唇が、わずかに、震えた。

「偶然では、ありません。あの日、わたしは、あなたを、探していました」

部屋の温度が、一度、下がった気がした。

「……探して、って」

言われて初めて、あの日の違和感が、形になった。

学校一の令嬢が、なんであんな時間に、あんな場所にいたのか。付き人も、車も、なかった。辻褄が合わないな、とは思ったのだ。思ったけれど、それだけだった。

近所の公園だ。誰だって、通りかかる。俺は、そう片づけていた。

まさかこの人が、俺を探して雨の中に立っていたなんて、思いつきようが、なかったから。

「秋月蓮(あきづきれん)さん」

暦は、淀みなく、俺の名前を言った。

「……お名前を、存じておりました」

背筋が、冷たくなった。

「いつから」

「二年ほど、前から。……あなたが、高校に、上がられる直前です」

蛍光灯の音が、やけに大きく聞こえた。

「物語の樹(ものがたりのき)の運営会社に、如月(きさらぎ)グループが、少しだけ、出資をしております」暦は、淡々と続けた。「ほんの少しです。ランキングを動かすような力は、ありません。あの三年、あなたの数字が一桁だったのが、その証拠です」

「……作者情報を見たのか?ペンネームだけで個人情報の登録はしていないはずだが」

「新人賞の、応募者名簿です」

心臓が、鳴った。

新人賞。出した。一度だけ、中三の冬。物語の樹が自分で主催している、公式の賞だ。載せている連載を、応募欄から送るだけでよかった。ただ、本名と、住所と、年齢と、電話番号の欄が、あった。どうせ落ちると分かっていて、それでも俺は、そこを埋めたのだ。万に一つ、受賞の連絡が、来るかもしれないから。

まだ、実家にいた。ここから電車で二時間の、あの町に。

一次は、通った。

何百作も並んだ一覧の、下のほうに、俺のペンネームが載った。それだけだ。誰も、読みには来なかった。PVは、一のままだった。

二次で、落ちた。それきり、忘れていた。

「あなたが高校に上がられる、その前の三月です。一次選考の通過作が、公表されました」

暦は、言った。

「何百作もの、いちばん下のほうに、冬野結(ふゆのゆい)と、ございました」

「…………」

「わたしは、存じませんでした。あなたが、賞にお出しになっていたことを。毎晩、拝見していたのに」

見つけてしまいました、と彼女は言った。まるで、事故みたいに。

「その夜のうちに我慢できず、わたしは、令嬢の名前を使って、名簿を、見せていただきました。規約に、違反しています。絶対に、してはいけないことです」

「……全部、見てしまいました」

暦の声が、落ちた。

「…………」

「……そこに、お名前が、ございました」

暦は、目を伏せた。

「あきづき、れん」

三文字を、ひどく、ゆっくりと言った。

「ご年齢も、ございました。……わたしと、同じでした」

「電話番号も住所もございました。電話をかけようと思えば、かけられました。自宅に行こうと思えば、行けました」

膝の上の指が、白いままだった。

「一度も、いたしませんでした。知らない人がいったところで困惑させるだけですから。それに、会って話す必要性もございませんでしたので。わたしが望んでいたのは、毎日零時の更新でしたので」

「その、一か月後です」

暦の声が、かすれた。

「高校の、入学式でした。教室に貼られた名簿に、秋月蓮さまと、ございました。自分でも目を疑いました」

部屋の空気が、なくなった気がした。

俺だ。同じ教室で、この人は、毎朝、俺を見ていた。

——いや。待て。

この人が持っている住所は、実家のものだ。電車で二時間の、あの町。俺が高校でこの街に出てきたことを、この人は、知らない。

だったら。

「……同姓同名の可能性もあるだろ」

暦は、目を伏せたまま、言った。

「……ええ、なので、あの日までの、一年。……拝見しておりました」

第37話 偶然では、ありません

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『零時の神様』は、PV一桁の底辺WEB作家と、彼の小説を崇める氷の令嬢の物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。