第19話

慰めなら、別の言い方を

その夜、ゆめちゃんは降りてこなかった。いつもなら、午前零時を過ぎたあたりで、リビングの奥に明かりがつく。ためらいがちな足音が、階段を下りてくる。でも、その夜は、それがなかった。

代わりに、二階から物音だけが聞こえた。何かを床に放るような、鈍い音。それから、しんとした静けさ。

何かあったな、と思った。

でも、二階は住人のための場所だ。男の俺が上がっていくところじゃない。俺にできるのは、台所で火を絶やさずに、待つことだけだった。

俺は出汁を引く手を止めて、しばらく待った。やがて、足音が階段を下りてきた。いつもより、ずっと重たい足音だった。

ゆめちゃんは、リビングのソファに、崩れるように座り込んだ。スマホを握ったまま、画面も見ずに、ただ宙を見ている。眼鏡もかけていない。目が、真っ赤だった。

「……小田切さん」

声をかけると、彼女は俺を見て、それから力なく言った。

「落ちた」

「落ちた、というのは」

「コンテスト。学校のやつ。応募してたんだけど、一次で落ちた」

ゆめちゃんは、スマホを見せてきた。画面には、応募作の一覧と、その中の自分の作品が映っていた。

「しかもさ、こっちも」

彼女が画面をスワイプすると、SNSの数字が出た。

「フォロワー、減ってんの。ここ最近ずっと。投稿しても、いいねもつかなくて。……わたしのこと、誰も見てないんだなって」

声が、震えていた。

「コンテストも落ちて、フォロワーも減って。わたし、ほんとに、何もないんだなって」

俺は、ソファの近くの床に膝をついて、彼女の握っているスマホの画面を、少しだけのぞかせてもらった。

「これ、応募した作品ですか」

「……うん。もう、見たくないけど」

それは、一枚のコーディネートの写真だった。ゆめちゃん自身がデザインして、縫った服。マネキンに着せて、撮影したもの。

俺は、それをじっと見た。ただ眺めたんじゃない。昔、そうしていたように——目の前のものが、どんな人を、どんなふうに、ほっとさせるのか。それを、一つひとつ確かめるみたいに。

服のかたち。布の落ち方。背景の取り方。そして——色。

縫い目は、正直に言えば、まだ揃っていないところがあった。技術だけなら、上手い子はもっといるんだろう。でも、俺の目を引いたのは、そこじゃなかった。

「ちょっと待ってください」と俺は前置きを置かなかった。ただ、見えたことを、そのまま言った。

「ここの、色」

「は?」

「上の生地と、裏地の。この、くすんだ青と、生成りの組み合わせ」

ゆめちゃんが、画面に目を落とした。

「これ、疲れた人がほっとする色です」

彼女が、顔を上げた。

「派手じゃない。目を引くわけでもない。でも、ずっと見ていられる。仕事で疲れて帰ってきた人が、ふっと肩の力を抜けるような、そういう色の合わせ方をしてます」

「……なんで、そんなこと」

「色の組み合わせには、人を緊張させるものと、ゆるめるものがあるんです。君が選んだのは、後者だ。それも、かなり繊細な加減で」

俺は、画面の一点を指した。

「特に、この裏地をほんの少しだけ見せてる。全部見せるんじゃなくて、動いたときにちらっと見えるくらい。これを意図してやったなら——君は、人がどこでほっとするか、分かってる人だ」

ゆめちゃんは、ぽかんとしていた。

「おじさん、それ……ほんとに思ってる? 慰めとかじゃなくて」

「慰めなら、もっと別の言い方をします」

俺は、自分でも少し言いすぎたかな、と思いながら、それでも続けた。

第19話 慰めなら、別の言い方を

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『常夜灯のおかえりご飯』は、冴えない管理人さんの夜食と、疲れた女性たちの「ただいま」をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。