第43話

今夜は、私たちに甘えてください

それから、常夜灯は、ちょっとした戦場になった。

「えっと、熱の時って、どうすればいいんだっけ。冷やす? 温める?」

「首の後ろと、脇! 太い血管、冷やすの!」

「氷! 氷枕! ……って、どこにあんの、この家」

「私、調べる!」

「累、スマホで検索して! 早く!」

普段、俺に世話をされてばかりの四人が、わたわたと動き回っていた。

俺は布団の中で、その光景をぼんやりと見ていた。なんだか、ひどく不思議な気持ちだった。

「管理人さん、お水。飲める?」

ゆめちゃんが、吸い飲みを差し出した。どこから出してきたのか、レトロなガラスの吸い飲み。

「あ……すみません。自分で」

手を伸ばそうとすると、ゆめちゃんが首を振った。

「いいから。寝てて」

そっと、吸い飲みを俺の口元にあてがう。冷たい水が、ひりついた喉に染みた。

「……ありがとう、ございます」

「いいって。……てか、おじさん、ほんとは、こうやって、ずっと、私たちのこと、世話してくれてたんだよね」

ゆめちゃんが、ぽつりと言った。その目が、少し潤んでいた。

まひるさんが、濡れた手ぬぐいを俺の額にのせてくれた。冷たくて、気持ちがよかった。

「あの、管理人さん。あったかいの、何か、食べられますか。食べないと、薬も飲めないし」

「いえ、そんな。皆さんに、作ってもらうなんて」

「いいから!」

まひるさんが、めずらしく、強い声を出した。

「私たち、ずっと、もらってばっかりだったんです。管理人さんに。あったかいご飯も、優しい言葉も、ぜんぶ。だから、今日は……今日くらいは、ね?」

その目が、また潤んでいた。

「私たちにも、何か、させてください。お願いします」

俺は、何も言えなかった。

台所から、こと、こと、と音がしてきた。それから、ちょっと慌てた声も。

「ねえ、お米、どのくらい入れるの」

「分量、適当でいいでしょ。雑炊だし」

「だしって、どうやって取るの……? 管理人さん、いつも、何か、やってたよね、昆布とか」

「あ、これ、出汁パックある! これでいいでしょ!」

「火、強くない? 焦げる、焦げる!」

俺は布団の中で、その音を聞いていた。ことこと、と鍋が煮える音。包丁がまな板を叩く、ぎこちない音。

──ねぎ、もっと細く切った方が。火は、もう少し弱火で。卵は、火を止めてから。

頭のなかで、つい口を出しそうになって。やめた。

今日は、いいか、と思った。任せてみようか、と。生まれて、はじめて。

しばらくして。怜さんが、お盆を運んできた。その上に、湯気の立つ土鍋の小鉢がのっていた。

「……できた。雑炊」

怜さんが、ちょっと決まりの悪そうな顔で、言った。

「言っとくけど。あんまり、期待しないで」

小鉢のなかは。正直に言うと、見た目はお世辞にも綺麗とは言えなかった。ねぎは太さがばらばらで。卵は固まりすぎて、ところどころぼそぼそで。米は煮えすぎて、ほとんどお粥みたいになっていた。

俺が、もしこれを作ったら。たぶん、出さない。やり直す。

でも。湯気が、立っていた。優しい湯気が。

「……あ」

俺の喉の奥が、つまった。

「だしパックで、ごめん。昆布の引き方とか、私たち、分かんなくて」

怜さんが、早口で、言い訳のように言った。

「ねぎ、ゆめが切ったから、不揃いだし。卵、まひるが入れるの、早すぎて、固まっちゃって。米は、累が、ぼーっとしてる間に、煮えすぎたし」

「ちょ、人のせいにしないでよ」

「事実でしょ」

四人が、わいわいと言い合っている。

俺は、震える手でれんげを持った。ひと匙、すくって。口に運ぶ。

──……。

味は。しょっぱかった。塩の加減がめちゃくちゃで。だしも薄くて。米はのびきっていて。プロの俺なら、絶対に出さない一杯。

なのに。なのに、俺は。ひと匙、口にした瞬間に。

ぼろり、と。涙が零れた。

「……っ」

止まらなかった。ひと匙、ひと匙、口に運ぶたびに。後から、後から、零れた。

手の甲で、目元を拭った。拭っても、拭っても追いつかなかった。俺は、れんげを握りしめたまま、肩を震わせた。

号泣するなんて。いい歳のおじさんが。みっともない。それでも。止められなかった。

「……っ、ばか、みたい、ですよね」

俺は、しゃくりあげながら、言った。

「こんな、しょっぱい雑炊で。……でも、こんなに、美味しいの、生まれて、はじめてで」

四人が、驚いた顔で俺を見ていた。

それから。まひるさんが、つられて泣き出した。

「やだ、なんで、私まで、泣いて……」

ゆめちゃんが、洟をすすった。怜さんが、ぐっと唇を噛んだ。真壁さんが、そっと目元を押さえた。

足元で、小麦が心配そうに「くぅん」と鳴いて。俺の布団のそばから、片時も離れなかった。

「管理人さん」

泣き止んだ怜さんが、ベッドのそばに膝をついた。そして、いつになくまっすぐな目で、言った。

「私たちね。昨日の夜、話したの。管理人さんが、寝たあとに」

「……はい」

「あなたは、いつも、私たちに、言ってくれるよね。『おかえりなさい』『大変な一日でしたね』『ご飯にしましょうか』って。私たちが、ボロボロで帰ってくるたびに」

怜さんの声が、少し震えた。

「だから、今度は、私たちが、言う番」

四人が、俺を囲んだ。ゆめちゃんが、吸い飲みを。まひるさんが、新しい手ぬぐいを。真壁さんが、静かに枕元に。そして、怜さんが、ぎこちない雑炊のおかわりを。

怜さんが、言った。

「今夜は──私たちに、あなたを、甘えさせてください」

俺は、また、泣いた。

『あなたが、誰かに甘えられる日が来ますように。』

登美さんの、最後の一文が。頭のなかで響いた。

ずっと、できなかった。誰かに甘えるなんて。「助けて」と言うなんて。俺は、与える側の人間で。それしか知らなくて。

でも。今、こうして。ぎこちない手つきで作られた、しょっぱい雑炊をすすって。四人の女の子に囲まれて。

俺は、生まれてはじめて。誰かに受け取ってもらっていた。

「……ありがとう、ございます」

俺は、ようやく、その言葉を言えた。ずっと言えなかった、言葉を。

「ありがとう……ございます。本当に」

第43話 今夜は、私たちに甘えてください

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『常夜灯のおかえりご飯』は、冴えない管理人さんの夜食と、疲れた女性たちの「ただいま」をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。