第14話 014

改革という名の、私の名前で

新ルート開通から、十日。

執務机の上に、革紐かわひもで束ねた書状の山が、ぽすん、と置かれた。

「ロザリンド様。商人組合からの礼状でございます。本日朝の集計分で、三十二通」

事務官長は、束を置いた手を、なぜか少しほこらしげに引っ込めた。

ロザリンドは羽根ペンを止めて、束を見た。

「……三十二通」

「全部でございます」

「全部、私宛てに?」

「全部、ロザリンド様宛てに、でございます」

事務官長は、もう一度、念を押した。


港の話は、その朝の報告書で先に上がっていた。

ポルト経由の海路、初日からの十日間で、大公国に流入する商品の総量は、前年同月比で二倍を超えていた。

関税率を引き下げた分、一件あたりの税収は薄くなる。けれど、流通量がそれを上回って跳ね上がった結果、港湾税・商業税しょうぎょうぜいまで合わせた歳入さいにゅう総額は、前年同月比で一・四倍に膨らんでいた。

鉱物輸入の卸値おろしねは下がり、毛織物の出荷は伸び、銀の流入経路が一本まるごと新設された。

都の鍛冶屋でははがねの値が落ち、市場の毛織物には新しい値札が並び始めた。庶民の食卓には、まだ静かにではあるが、確実に、灯がともり始めていた。

数字は、紙の上で、行儀よく並んでいた。

ロザリンドは数字を二度読み、頷いた。

(計算通り。誤差、二パーセント以内)

職業病だった。書類の上の成果は、まず計算式の正しさとしてだけ、頭に入ってくる。

けれど、革紐で束ねられた三十二通の書状は、計算式では出てこない種類の重みで、机の上に座っていた。

ロザリンドは、一番上の一通を、指先で抜いた。


「ロザリンド様。

私どもの商会は、長年、祖国経由の交易で痩せ細っておりました。

帆を畳む話まで、内々に出ておりました。

今期、初めて、職人たちに賞与を出せます。

本当に、ありがとうございました」

油の染みた紙だった。

書き慣れない手で、何度も書き直したらしい線が、文字の下にうっすら残っていた。

ロザリンドは紙の端を、ひとつ折り直した。

──自分の名前で。

ありがとう、と、知らない人に、書かれていた。

ただ、それだけ。

それだけのことが、机の上で、礼状の束として、確かに重みを持っていた。

ロザリンドは束の山に、紙を戻した。

「事務官長」

「は」

「全通、お返事を差し上げます。同文で構いません。書式は私が下書きします」

かしこまりました」

「一通も、漏らさずに」

「は」

事務官長は、深く礼をした。

ロザリンドは、もう一度、束の上に手を置いた。

紙の重みは、計算式では出てこなかった。


その週の、財務報告会。

長卓を囲んだ重臣たちの前で、ルーカスは、いつもの最小限の声量で、議事を進めていた。

新ルートの十日間収支。鉱物取引高の倍増。毛織物の輸出枠の見直し。次月以降の積算予測。

ロザリンドは長卓の中ほどに座って、紙の角を揃えていた。

議題が終盤に差し掛かったとき、ルーカスは羽根ペンを置いて、視線を、財務省記録官のほうに向けた。

「以降の収支は、新項目として記録する」

記録官が、書記用の冊子を構えた。

「項目名でございますか。閣下、お申し付けを」

ルーカスは、一拍、置いた。

「ロザリンド改革」

長卓の空気が、ほんの半呼吸、止まった。

事務官たちの肩が、揃ってわずかに上がった気がした。

ロザリンドは紙から目を上げて、ルーカスの横顔を見た。

「閣下」

「ああ」

「項目名は、会計用語として、簡潔なほうがよろしいかと」

ロザリンドは真顔で続けた。

「『通商再編』、で十分です。固有名詞は、後世の記録官が引きにくくなります」

ルーカスは、ロザリンドのほうに、ゆっくりと顔を向けた。

そして、ほんの、わずかに──

口角が、上がった。

公の場で、初めて。

短い、いつもの返答。

ただし、いつもより、半度だけ、暖かい角度だった。


ロザリンドは、二秒だけ、考えた。

そして頷いた。

「ありがたく承ります」

(……まあ、トップが決めたのなら)

業務的に処理する。決裁権者の意志に従う。労務管理の合理的態度だ。

ロザリンドの内側で、田中律子の声が、また勝手に翻訳していた。

長卓の向かいで、オズワルドが書類の角を揃えるふりをしながら、無言で天井を仰いだ。

(……閣下が、ご自分の名前ではなく、他人の名前を、国家記録に載せられるのを、私は七年で初めて見ている)

オズワルドは、その思考を、書類の余白には書かなかった。

代わりに、記録官が冊子に、新しい一行を、書き付け始めていた。

ロザリンド改革 ──以降、本項にて収支を記録する。

その一行は、銀のインクで、太く、書かれていた。


報告会が終わり、重臣たちが退室する。

ロザリンドは執務室に戻って、ようやく羽根ペンを置いた。窓の外は、もう夕方に傾いている。

執務机の隅で、おまけの団子の包みは、とうに空になっている。代わりに、礼状の束が、机の角に行儀よく並んでいた。

ロザリンドは、その束を、もう一度だけ、指で軽く撫でた。

それから、独り言を、ぽつりと落とした。

「ロザリンド改革、ね」

少し、間を置いた。

「……悪くないわ」

声には、ほんの少しだけ、笑いの形が、混じっていた。


その夕方、王宮の中庭では──

剣の稽古を終えた王太子おうたいしアルフレッドが、絹のタオルで首筋の汗を拭いながら、上機嫌で笑っていた。

ロザリンドの礼状の束も、ロザリンド改革の銀インクの一行も、彼の耳には、まだ、何ひとつ届いていなかった。

第14話 改革という名の、私の名前で

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『王妃という名の社畜2.0、お断りします』は、前世を思い出した悪役令嬢が、自分の人生を取り戻す物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。