第42話 042

お断り申し上げます──回廊から見送る、二台の馬車

応接室の扉が閉まる音を、ロザリンドは背中で聞いた。

「お姉様の代わりに」という一言を、ミリアは最後まで撤回しなかった。取り乱し、侍女に抱えられ、引きずられるように連れ出されていく。その最後の叫びを、扉一枚で断ち切った後だった。

廊下に出ると、ルーカスが壁にもたれて待っていた。

中で何が話されたか、彼は訊かなかった。報告は書記から上がる。それ以前に、ロザリンドが自分の足で扉を抜けてくるのを、ただ待っていた。そういう立ち姿だった。

ロザリンドが歩き出すまで、彼は壁から背を離さなかった。半歩、彼女が動いて、それから、ようやく、彼も動いた。

「終わったか」

「ええ。ただ、両者ともに、出立の見送りだけは儀礼上必要かと」

「……君がそう判断したのなら、それでいい」

ロザリンドは予定表を開き、空白に短く書き込んだ。

「城門上、回廊。十分」

十分しか取らない、という意味だった。


城門の上の回廊は、冬の風が抜けて寒かった。

ロザリンドは手すりに片手を置き、下を見下ろした。

中庭には、二台の馬車が並んでいた。先頭にアルフレッドの紋章、後ろにミリアの簡素な貸し馬車。

──同じ門を出るにしては、ずいぶん格差のついた配車ね。

ルーカスはロザリンドの半歩後ろに立っていた。

馬車の扉が開く。アルフレッドが姿を見せ、こちらを見上げた。

「ロザリンド!」

回廊までよく通る声だった。声を張れる体力がまだ残っているらしい。

「せめて、昔のよしみで……ひとことだけでも、考え直してはくれぬか」

ロザリンドは手すりを軽く指で叩いた。

──昔の誼。

──出ました、最終手段の感情論。引き止めるなら、こちらが在籍しているうちになさってほしかったですわ。

ロザリンドは口の中だけで小さく息を吐き、口を開いた。

「それは無理な話ですわ」

回廊の風が、銀の髪を流した。

「あの椅子の労働条件を、私は最初から存じておりました。だから、婚約破棄はありがたくお受けいたしましたの」

アルフレッドの顔がこわばる。後ろの馬車から、ミリアが半身を乗り出してこちらを見上げた。喪服のような黒い旅装が、風にあおられている。

「お姉様……っ、私、こんな椅子、望んでなんかいなかったわ……!」

ロザリンドは、その声に温度を返さなかった。

「かつて、あなたが渇望した椅子でしょう。最後まで、座り続けなさい」

ミリアの肩が震えた。アルフレッドは口を開きかけて、続く言葉が出なかった。

そして、最後の一段。

ロザリンドは視線を、二台の馬車の真ん中に置いた。

どちらに向けてでもよかった。どちらにも届く必要があった。

姿勢を正し、貴族令嬢の最も丁寧な礼の角度で、頭を下げた。

「改めて、


数秒、誰も動かなかった。

ミリアが、馬車の窓から身を乗り出して叫んだ。

「お姉様……ッ」

続きはなかった。

代わりに動いたのは、ルーカスだった。

ロザリンドの肩越しに、一歩前に出る。中庭を見下ろし、視線はアルフレッドだけに向けた。

「王太子殿下」

低い声だった。回廊の石に、わずかに反響した。

「次にロザリンドの名を、その口から呼ぶことがあれば──」

一拍、置いた。

「外交問題ではなく、

回廊の端に控えた侍従頭が、わずかに目を見開いた。

──閣下が「個人の問題」と口にされたのは、お仕えして十年、初めてだ。そういう顔だった。

アルフレッドの顔から血の気が引くのが、回廊からでも見えた。


馬車が動き始めた。

二台が中庭を抜けていく。アルフレッドは最後までこちらを見上げていた。ミリアの馬車の窓は、いつの間にか閉まっていた。

馬車が城門を抜け、雪の街道に消えていく。

ロザリンドは手すりから手を離した。

そして、ルーカスに見えない側の袖の中で、そっと、小さく、拳を握った。

──律子

口には出さなかった。

──あなたを罵った上司、ようやく、私の足元から馬車で去っていったわよ

──ガッツポーズ、しておこうかしら

袖の中の拳が、誰にも見られないまま、緩んだ。

第一章では、衆人環視の中で堂々と掲げた拳だった。今日は、袖の中に隠れていた。

隠す必要があったわけではない。

ただ、もう、誰かに見せるためのものではなかった。それだけだった。


「ロザリンド」

ルーカスの声に振り返る。

「冷える。中へ」

「ええ」

回廊を戻りかけて、ロザリンドはふと立ち止まった。

「閣下」

「ん」

「祖国の宰相からの嘆願書、四通目は、もう開封不要でよろしいかしら」

「……君がそう判断したのなら、それでいい」

ロザリンドは小さく笑った。

ルーカスも、ほんのわずかに、口角を上げた。


執務室に戻ると、机に新しい封筒が一通、置かれていた。

侍従頭が、いつもと違う表情で立っていた。

「閣下、ロザリンド様。教会本院から、早馬でございます」

ルーカスが封蝋を見て、わずかに眉を上げた。先に開封し、一読する。

短い書面だった。

古文書の照合しょうごうにより、現行の聖女認定の典拠てんきょに重大な誤りを確認した。

よって全土の聖女認定を見直し、真の徴をもって、各国の聖女を神殿石しんでんせきにて改めて照合する。

ロザリンドはそれを受け取り、封筒を裏返し、また表に戻し、書面にもう一度目を通した。

表情は、変えなかった。

「……古文書、ですか」

ひとことだけ、誰に問うでもなく、口の中で転がした。

「承知いたしました。次の業務に取り掛かりますわ」

ルーカスが、書類の束を整えながら、低く呟いた。

「……忙しくなりそうだ」

窓の外で、雪が、また降り始めていた。

──同じ頃、祖国の教会本院では、古文書庫の扉が、百年ぶりに開かれていた。

第42話 お断り申し上げます──回廊から見送る、二台の馬車

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『王妃という名の社畜2.0、お断りします』は、前世を思い出した悪役令嬢が、自分の人生を取り戻す物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。