第46話 046

大陸に轟く「お断り」

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──その一言が、三日のうちに、大陸を一周した。


隣国レイベルク、王女の私室。

侍女が読み上げる通信文つうしんぶんの途中で、王女は扇をぱちんと畳んだ。

「もう一度、最後の部分を」

「『聖女? 興味ありませんわ。私は大公国の経済顧問ですので』──と」

王女は窓の外を見た。しもで白く縁取られた庭の薔薇ばら

「あの方こそ、私の理想ですわ」

侍女は微笑んで、もう何も言わなかった。


各国大使館の魔導通信室。その夜、送信石そうしんせきは夜通し震え続けた。

真聖女、ヴェルナント大公国に在り。

祖国アルバートがほうじていたは、偽聖女にせせいじょ

真聖女は本院の聖座せいざ拒絶きょぜつし、一介の経済顧問に留まると。

文字が、海を越え、山を越えていく。

その夜のうちに、商業しょうぎょうギルドの白髪の会頭かいとうは地図の投資先を一国へ書き換えた。「あの方が腰を据えた国に投資する。理由欄には、それで充分だと書いておけ」――低い笑い声が会議室を満たしたという。

通信士つうしんしたちは、最後の一文を石板せきばんに刻むたび、思わず手を止めた。

「お断りします」

たった六文字が、こんなにも気持ちのいいものだとは、知らなかった。


祖国アルバート、王宮の一室。

アルフレッドは暖炉の前で、深く椅子に沈んでいた。葡萄酒ぶどうしゅの杯を握る指が、白い。

「……なぜだ」

呟きは、誰にも届かない。

「なぜなんだ」

火の粉が、ぱちりと爆ぜる。

──聖女は俺のものだったはずだ。あの女は俺の婚約者だったはずだ。国は俺の国だったはずだ。

なぜ、なぜ、なぜ。

最後まで、彼の口から「俺が悪かった」の六文字は、出てこなかった。プライドだけは、天井知らずのままだった。

そして翌朝、王宮の正門には、が、静かにかかげられることになる。彼が座っていた玉座ぎょくざは、もう、彼のものではなかった。


その同じ夜、王宮の書庫しょこでは、古い聖女選定せいじょせんていの記録が、埃の底から引き出されていた。

十数年前。まだ幼かったエイベル公女の、神殿石への反応――。署名は、当時の大神官のもの。

「……我らは」

宰相さいしょうの指が、その一行で止まった。

「自らの手で真聖女をあらため、『聖女にあらず』と断じ──そのうえで、隣国に、くれてやったのか」

誰も、答えられなかった。

捨てたのではない。検めた上で、捨てたのだ。

石が沈黙していた理由が、「あの頃の彼女の記憶には、まだ誰もいなかったから」だなどと、この場の誰ひとり、知る由もなかった。


北方の修道院。

灰色の壁に囲まれた小さな部屋で、ミリアはなお呟き続けていたという。

「お姉様が逃げたから、私が」

「騙された、こんなはずじゃ」

語尾は最後まで他責で、最後まで自分の行いを反省することはなかった。

聞いた修道女しゅうどうじょは、ただ、首を振った。

腕に抱くべき幼子おさなごは、すでに王太后おうたいこうに引き取られたあとだった。「ライオネル」の名は王家の系譜けいふに残り、「ミリア」の名は、もう、誰の口にものぼらない。

それきり、彼女の名は、大陸の話題から消えた。


そして、大公国。

夕刻の執務室。

ロザリンドは関税表の最終確認を終え、ペンを置いた。窓の外、雪が降り始めている。

「ロザリンド」

扉が、静かに開いた。

「閣下」

ルーカスが、いつものように肩掛かたかけを差し出してくる。

「儀式は疲れただろう。午後の予定は移した」

「ありがとうございます。でも、午後はちゃんと書類をさばきましたわ」

「知っている」

ロザリンドは肩掛けを受け取り、苦笑した。労務管理の一環ね、とまた心の中で訳してしまう。

ルーカスは執務机の前で、ふと口を開いた。

「少し、君に聞きたいことがある」

「聖女のことですか? 興味ありませんわ。何度でも申し上げます」

ルーカスの口角が、わずかに上がった。

「……そうじゃない」

「?」

続きを言いかけて、彼の唇が動きかけ──けれど、ルーカスは口を閉じた。

「いや。今日は早く休んでくれ」

「承知しましたわ」

ロザリンドは頷き、ペンを片付け始めた。

侍従の運んできた紅茶から、湯気が立ちのぼる。机の端には、いつの間にか焼き菓子が一つ。

書き添えの紙片には、短く一行。

ロザリンドは、それを読んで、しばらく動けなかった。

──……前世の私が、職場で倒れた夜、誰かにこの一行をもらえていたら。

羽根ペンを置いた指先が、ほんの少し、震えた。

紙片を畳み、胸元にしまう。

見返してやろうなんて、思ったこともなかった。それなのに、気づけば、全て終わっていた。

祖国は崩れ、教会はくっし、ミリアは消えた。アルフレッドの名はもう、大陸の通信文に乗らない。


残っているのは、たぶん、ひとつだけ。

ロザリンドは、手元の白紙を見つめた。まだ、何も書かれていない。

残っているのは──自分の心の、いちばん奥。まだ、自分にすら、名前のつけられない何かだった。

雪が、しんしんと、窓の外で降り続けている。

それが何なのか、彼女はまだ、業務外の何かとして棚に上げようとした。いつものように。合理的に。

けれど今日は、うまくいかなかった。

紅茶は、まだ温かい。焼き菓子は、いつもの味のはずだった。

それなのに今日は、ペンを片付ける指が、いつもより、ほんの少しだけ、遅かった。

第46話 大陸に轟く「お断り」

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『王妃という名の社畜2.0、お断りします』は、前世を思い出した悪役令嬢が、自分の人生を取り戻す物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。