第26話 026

でも、お気の毒に

「──祖国アルバート王国より、急報きゅうほうにございます」

書記官の声が、いつもより半音はんおんほど高い。

大公国たいこうこくの執務室。午後の窓枠まどわくの影を斜めに切って、机の上の書類を二色に染めていた。

ロザリンドは紅茶のカップを口元に運んだまま、視線だけを書記官にやった。

「読み上げて」

「は、はい。──聖女せいじょミリア・ロウ様、ご懐妊。王太子アルフレッド殿下の御世継おんよつぎを、来春らいしゅんにも──」

語尾ごびが、震えた。

書記官の頬が、こちらの反応をうかがうようにわずかに引きつっている。三歩ほど離れた席で書類に目を落としていたルーカスが、ペンの動きをほんの一拍いっぱくだけ止めた。

ロザリンドは紅茶を一口、飲み込んだ。

それから、まったくいつもの声で言った。

「あら、おめでたいわ。でも、

室内が、静止した。

書記官の口がぽかんと開く。

「えっ……あの、ロザリンド様、お気の毒、とおっしゃいますと……?」

「現在の祖国の財政状況ざいせいじょうきょうで世継ぎを抱えるのは、家計簿的に厳しいかと」

書記官が、ついにこらえきれずに吹き出した。あわてて口元を押さえ、ロザリンドに深く礼をする。

机の向こうで、ルーカスの口角が──ほんの、ほんのわずかに、上がった。

書記官以外の誰にも気づかれない角度で。

「では、計算しましょうか」

ロザリンドはカップを置き、机の隅から白紙はくしを引き寄せた。前世であれば、これは表計算ひょうけいさんソフトの仕事だ。

(まあ、その手の便利な道具がない世界に来てしまった以上、紙とペンで巻き返すしかないのよね)

ふとよぎる前世の癖を、彼女は微苦笑びくしょうで押し込めた。

「世継ぎ誕生たんじょうに際して国庫こっこから支出ししゅつすべき項目こうもくを、暫定ざんていで並べます。──第一、祝賀予算しゅくがよさん。第二、神殿しんでんへの奉納ほうのう。以下、祝詞使のりとし派遣はけん医師団いしだん乳母団うばだん、新規の侍女団じじょだんまで、すべて同時並行どうじへいこう十月とつき、走り続けます」

書記官の筆が、追いつかずに止まった。

「お、お待ちを、ご令嬢。同時並行、ぜんぶ、ですか」

「ぜんぶですわ」

「……」

ロザリンドはペン先で空欄くうらんを叩いた。

「祖国の国庫は、第四四半期しはんき……失礼、先の関税改定以降、すでに祝賀予算を捻出ねんしゅつする余力よりょくがございません」

──危ない、と心の中で苦笑する。前世の癖で、つい物事を四半期しはんきごとに区切くぎって数えてしまう。

「捻出する手段は二つ。貴族層きぞくそうへの臨時増税りんじぞうぜい。あるいは、神殿への奉納の削減さくげん。前者は社交界の反発はんぱつ、後者は教会の反発を招きますわ」

「ど、どちらも、その」

「どちらを選ばれても、王太子殿下のお立場はさらに悪化あっかなさるかと」

書記官の頭の中で、聖女の妊娠という慶事けいじが、みるみる「祖国の財務ざいむリスク」という勘定科目かんじょうかもくに書き換わっていく。

ロザリンドは、最後にペンのしりで紙を軽く弾いた。

「以上、ご懐妊速報そくほうに対する経済顧問所見しょけん祝意しゅくいよりも、ご同情を申し上げる場面かと存じます」

書記官は、もう笑うのを諦めて深く頷いている。

机の向こうから、低い声がした。

「君の試算は、正確だ」

ルーカスだった。書類から目を上げないままの一言。

ロザリンドは「恐縮きょうしゅくですわ」とだけ返し、次の紙束に手を伸ばした。


その紙束は、諜報網経由けいゆで大公国に集まる、月例げつれい動向どうこう報告書だった。

──かつて、自分の三年分の経歴を一枚も飛ばさず整理せいりしてみせた、あの網。雇用査定こようさていのときと同じ精度せいどが、そのまま運用に乗っているのね、とロザリンドは業務的に納得している。

ロザリンドはぱらぱらとめくる。祖国の財務官の動き、聖女派閥はばつの動向、第二王子周辺しゅうへん不穏ふおんな噂──いつもの内容。

──のはずだった。

ふと、報告書の余白よはくに小さく書き加えられた一行に、彼女の目が止まった。

『大公国内・社交場別接近者せっきんしゃ一覧(ロザリンド・エイベル殿)』

その下に、十数名の若い貴族の名が、家系かけいと財政状態、現在の婚約事情まで添えて、克明こくめいに整理されている。

ロザリンドは、ふっとまゆを上げた。

「閣下」

ペンを置く音がした。

「こちらの情報網は、祖国だけではなく大公国内の状況も対象になさっているようですわね」

「ああ」

「しかも、現在進行形で更新されている、と」

「……必要があるので」

ロザリンドは、報告書の余白を指で軽く叩いた。

「必要、というのは、どなたの必要ですの」

ルーカスは一拍、間をおいた。それから、いつもより半秒はんびょうだけ遅く答えた。

「大公国の利益りえきのために必要だ」

書記官が、視線を下げて懸命けんめいに書類を整理しているふりをしている。──耳だけは、はっきりこちらに向いていた。

ロザリンドは、ああ、と納得した顔をした。

「なるほど。経済顧問の周囲を整理しておくのは、安全管理あんぜんかんり一環いっかんですわね。情報の機密保持きみつほじにも関わりますし、合理的ですわ」

書記官が、心の中だけで叫んだ。

(違います、ロザリンド様、それは、その、もっと別の意味でして──!)

しかし、もちろん彼が口を開けるはずもない。

ロザリンドは納得した顔のまま、報告書を畳んだ。

「では、ついでにお願いがございますわ。リリィ伯爵令嬢の祖国側での動向と、最近大公国に出入りなさっている他国の若い貴族の方々の動向、こちらの諜報網で引き続き追跡ついせきをお願いいたします」

「もちろん」

ルーカスの返答へんとうは、これまでで一番、早かった。

ロザリンドは満足げに頷いて、紅茶の残りを飲みし、退室の礼をした。

扉が閉まる。

執務室に、書記官と、ルーカスだけが残った。

ルーカスはペンを置き、低く言った。

「先ほどの報告書だが」

「は、はい」

「……かしこまりました」

書記官は冷や汗をかきながら、深く礼をして退室した。


夕刻。

執務室の窓から、斜めの光が机の上の書類に長い影を落としていた。

ルーカスは、一人、椅子の背に身をあずけた。

三年前。雪の降る夜会の片隅かたすみ

壁際の長椅子で、誰の視線も受けずに経済書を読んでいた、銀髪の令嬢。

その姿は、いまも彼の中にある。

彼女は今、彼の城にいる。

それでも──

彼は、まだ、安心していなかった。

廊下の向こうで、ロザリンドの足音が遠ざかっていく。次の執務室へ向かう、いつもと同じ歩幅ほはばの音。

その音が一つ、また一つ、自分の城のゆかを叩いていくたびに、彼の中の何かが、ようやく息をする。

──明日、また、彼女に近づく男の名を、一つ知ることになるだろう。

それでいい。

知っている分だけ、潰せる。


翌週よくしゅう、大公国の城門じょうもんに、他国から五通の縁談申込書えんだんもうしこみしょが、同じ日に届くことになる。

ルーカスがそれを一通も、ロザリンドの机に載せなかったことを──彼女が知るのは、先の話になる。

第26話 でも、お気の毒に

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『王妃という名の社畜2.0、お断りします』は、前世を思い出した悪役令嬢が、自分の人生を取り戻す物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。