第19話

求婚状を、解雇規定で査定する

「ロザリンド様宛て、本日また十七通でございます」

朝の執務室。事務官(じむかん)の若い男が、両腕で抱えた書状(しょじょう)の束を、机の端に積み上げた。封蝋の色は赤、青、深緑、銀──いずれも貴族家紋、差出人ごとに違う。

ロザリンドは試算表から顔を上げて、その山を一瞥(いちべつ)した。

「……十七通」

「先週から、合計で六十二通になります」

「仕分(しわ)けの人員を増やしましょうか」

真顔だった。

事務官は、何か言いかけて、止めた。それから、視線を泳がせて、扉の外のオズワルドに助けを求めた。

「……ロザリンド様、その、縁談(えんだん)のお返事は、いかが──」

「縁談?」

ロザリンドは怪訝(けげん)そうに眉を寄せ、書状の山を指でさした。

「これは外交文書では?」

オズワルドは、無言で天井を仰いだ。

夜会から、一週間。

あの夜に肩へ掛(か)けられた漆黒(しっこく)のマントは、翌朝には事務官の手で大公の私室(ししつ)へ返却(へんきゃく)され、ロザリンドの机にはいつもと同じ温度のティーポットだけが置かれていた。

──寒さ管理は労務管理の一環。閣下は合理的な上司ですわね。

ロザリンドは本気でそう処理して、その日の業務に入った。

ところが三日と経(た)たないうちに、社交界では別の処理が始まっていた。

「ねえ、聞いた? あの夜、閣下が」

「ご自分のマントを、わざわざ……」

「あの方が、女性に……?」

囁(ささや)きは扇の陰(かげ)から、廊下の角から、茶会(ちゃかい)の席から、波のように広がっていく。広がるたびに形を変え、最終的にこう着地(ちゃくち)した。

「氷の大公を溶かした女」

そうなれば、社交界の計算は早い。

国内(こくない)の令嬢たちは、これ以上は無駄打ちと悟って一斉に手を引いた。氷の大公を溶かしたのが自分でない以上、列に並んでも順番は回ってこない。

代わりに動き出したのは、国外(こくがい)だった。

──あの大公が囲い込む前に攫(さら)えるなら、外交的に大金星。間に合わずとも、大公国と縁を結ぶ糸口(いとぐち)にはなる。そして何より、ヴェルナント大公国の財政を一年で立て直した「経済顧問」その人を自国に引き抜けるなら、それだけで国家事業に値する。

三方向の打算が、すべてロザリンド一人の机の上に集約された。

「ハインリヒ伯爵令嬢、クラリッサ嬢、オフィーリア嬢、本日付でいずれも縁談取り下げの申し入れがございました」

午後の執務室で、側近のディーター卿が、ルーカスの机の前に立って、淡々と報告を上げていた。

ロザリンドは隣の小机(こづくえ)で、関税試算(かんぜいしさん)の二枚目を広げている。書類の角度を直しながら、何気なく顔を上げた。

「縁談、ですか」

ディーター卿は、ぴたりと口を閉じた。

ルーカスは、書類に目を落としたまま、わずかに肩を動かした。

「……国内の整理(せいり)が進んでいるという話だ。気にしなくていい」

「左様でございますか」

ロザリンドはあっさり頷き、試算表に視線を戻した。

ディーター卿はルーカスに一礼し、退室(たいしつ)前にもう一言付け加えた。

「閣下。他国(たこく)からの打診状(だしんじょう)は、引き続き、こちらでお預(あず)かりしてよろしいので?」

「そのままで」

短い、いつもの返事だった。

ロザリンドは、書類の角を揃えながらぼんやり思った。

(他国、というと……何か外交案件が立ち上がっているのかしら。後で議事日程(ぎじにってい)を確認しなくては)

──完全に別件として処理した。

打診状の束を改めて見せられたのは、その翌日の朝だった。

「これは……?」

差出人の封蝋を、ロザリンドは一通ずつ、指で並べていく。

クラルク王国第三王子。ノルデン伯領(はくりょう)。南方諸侯連合(なんぽうしょこうれんごう)。海峡対岸(かいきょうたいがん)のラインバッハ公爵家。──聞き覚えのある家紋ばかりだった。けれど、宛名はすべて、

「経済顧問 ロザリンド・エイベル殿」

(……あら)

ロザリンドはしばらく無表情で封蝋を見つめ、それから労働対価表(ろうどうたいかひょう)を引き寄せて、頭の中で換算(かんざん)を始めた。

(クラルク王国第三王子……継承順位(けいしょうじゅんい)的に実権(じっけん)なし、領地の収支は健全。雇用契約に置き換えれば基本給(きほんきゅう)はそこそこ、ただし解雇規定(かいこきてい)が一方的ね。違約金条項(いやくきんじょうこう)の文言が緩い。お断り)

(ノルデン伯領は財政再建中(ざいせいさいけんちゅう)。報酬(ほうしゅう)の安定性に難あり。お断り)

(南方諸侯連合は……雇い主が複数の合議制(ごうぎせい)。前世なら労組(ろうそ)のない多重派遣(たじゅうはけん)ですわ。論外)

ロザリンドは封蝋ごとに小さな付箋(ふせん)を貼っていった。

「お断り」

「お断り」

「お断り」

執務机の前で、書記官のオズワルドが、書類の束で口元を押さえた。

──婚姻の打診を、雇用契約の解雇規定で査定(さてい)する顧問を、彼は人生で初めて見た。

「業務に集中したまえ」

ルーカスの声が、すぐ横で落ちた。

ロザリンドが顔を上げると、彼はちょうど、机の端に積まれた打診状(だしんじょう)の束を片手でひとまとめにしているところだった。

「下げさせる。君の机に置く類のものではない」

「ええ、業務優先で結構ですわ」

ロザリンドは即座に頷いた。

(閣下のおっしゃる通り。私の本務(ほんむ)は経済顧問。婚姻案件(こんいんあんけん)は──業務外の郵便物。仕分(しわ)けは秘書部(ひしょぶ)に一任すべきですわね)

──と、本気で処理した。

ルーカスは打診状を抱えた事務官を退室(たいしつ)させ、自分の席に戻った。座った瞬間、わずかに息を吐く。

ロザリンドは気づかない。

ただ、机の隅に残された一通だけが目に入った。返却(へんきゃく)し忘れたらしい銀色の封蝋。差出人は、海峡対岸(かいきょうたいがん)の若い当主(とうしゅ)。

ロザリンドはそれをつまみ、ルーカスの机のほうへ何気なく差し出そうとした。

ルーカスの手が、伸びてきた。

封蝋の上から、ロザリンドの指ごと軽く押さえる。

「俺が下げる」

低い、短い声。

「は」

「こちらで処理する」

ロザリンドは半秒だけ、自分の指の上にある手の温度を考えた。

(……業務分担(ぎょうむぶんたん)として合理的ですわね。打診状の整理は閣下のご担当範囲(たんとうはんい)。組織図(そしきず)として正しい)

(正しい、けれど──)

(なぜ、指の上、なのかしら)

一瞬の疑問が頭の隅をかすめて、すぐ流れていった。

ルーカスが手を引いた時には、ロザリンドはもう試算表に目を戻していた。

夕方。

大公宮の長い廊下を、ロザリンドが書類を抱えて歩いていく。すれ違った若い侍女二人が、ぱっと背筋を伸ばして深く礼をした。

「ロザリンド様」

「お疲れさまにございます」

ロザリンドは軽く会釈を返して、通り過ぎた。

通り過ぎた背中で、侍女たちは小さく囁き合った。

「ねえ、見た?」

「ええ」

「あの方……ほんとうに、ロザリンド様……」

「氷の大公を、溶かした女」

「やだ、声が大きい」

「だって、本当のことでしょう」

ロザリンドの足音が、廊下の向こうへ遠ざかっていく。まっすぐな背筋を、窓からの夕日が一筋なぞった。

侍女たちの視線に、嫉妬(しっと)も嫌味(いやみ)もなかった。

ただ、見上げるような静かな憧(あこが)れだけがあった。

執務室に戻ったロザリンドは、打診状の山がいつの間にか半分に減っていることに気づいた。

(あら、片付いたのね)

机の隅には、いつも通り温かい紅茶のカップ。隣に、焼き菓子が一切れ。

ロザリンドは椅子に座り、紅茶を一口含んだ。

(……気の利く事務官には、いつかお礼の品を)

そう、本気で考えた。

窓の外で、夕方の鐘(かね)が鳴る。

ルーカスの机の上に、銀色の封蝋がひとつだけ、まだ未開封(みかいふう)のまま置かれていた。明日の朝には消えているだろうことを、ロザリンドはまだ知らない。

廊下の向こうから、別の侍女たちの囁(ささや)きが薄く流れてくる。

「ねえ、聞いた? 氷の大公を溶かした女って──」

囁きは夕日の中に、ゆっくり広がっていった。

来週には、また新しい打診状が届く。

ロザリンドは、まだ何も気づいていない。

第19話 求婚状を、解雇規定で査定する

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『王妃という名の社畜2.0、お断りします』は、前世を思い出した悪役令嬢が、自分の人生を取り戻す物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。