第39話 039

王太子殿下、御自ら関所にご来訪──面会時間は二十分でございます

「三通目ですわね。しかも今回は──御自ら、ですって」

ロザリンドは封蝋を見もせず、ペーパーナイフを滑らせた。

執務机に置かれた、祖国アルバート王国の宰相印さいしょういん入りの嘆願書たんがんしょ

同じ筆跡、同じ署名。けれど今度ばかりは、要求の質が違うらしい。

ぱさり、と中身を抜き出して、最初の三行で結論を読み取る。

「返事は一通目で済んでおりますのに。祖国の宰相は、記憶力に難があるようですわ」

控えていた侍従が、肩を強張こわばらせたまま頭を下げた。

「……それが、その、本日の嘆願書は、内容が」

「変わりました?」

「は、はい」

ロザリンドは四行目に目を落とした。

そこで、初めて手が止まった。

王太子殿下おうたいしでんか、御自ら大公国たいこうこく関所せきしょに御到着。

殿下の御前にて、経済支援につき直接の御協議を願い奉る。

短く息を吐く。

椅子の背に体を預けて、天井の漆喰しっくいを見上げた。三秒。

それから、机の隅に置かれた予定表を引き寄せる。

来週の項目を一つ二つ繰り上げ、本日の午後二時から二時二十分までの欄に、慣れた手つきで書き込んだ。

「面会、二十分」

「に、二十分でございますか」

「ええ。それ以上は、業務に差し支えますわ」

侍従の喉が鳴った。

「で、ですが、相手は王太子殿下で……」

「存じておりますわ」

ロザリンドはペンを置き、初めて顔を上げて微笑んだ。

「だから、二十分なのですわ」

──前世の感覚で言えば、これは「アポなし飛び込み営業」だ。

ロザリンドの脳裏に、ちらりと田中律子たなかりつこ時代の記憶が浮かんだ。

商談の予定もない取引先の重役が、勝手にビルに来て受付で大声を出す。警備員が困り果てて電話してくる。

経理部の窓口だった律子が、上司の代わりに対応へ駆り出される。差し出された名刺を見ながら、笑顔で言うのだ。

「お時間をお取りできるのは十五分でございます」と。

あのとき、彼女には十五分しか取れなかった。

今のロザリンドは、二十分も「取ってあげている」。

──ふふ、出世したわね。律子。

机の下で、軽くつま先を浮かせて、すぐに戻した。


執務室の扉が、ノックもなく開いた。

「失礼する」

低い、けれど短い声。

ロザリンドは振り向かない。手はもう次の書類に伸びていて、声の主が誰かは確認するまでもなかった。

「閣下。お早いお戻りで」

「報せが先に届いた」

ヴェルナント大公ルーカスは、長身をかがめて机の脇に立った。予定表の「面会、二十分」の文字に、視線を一秒落とす。

それから無言でロザリンドの羽根ペンを取り上げ、その隣の余白に四文字書き足した。

立ち会う

ロザリンドはそれを横目で見る。

「業務上の同席ですわね。助かります、書記係しょきがかりを一人減らせますわ」

「……ああ」

ルーカスは、わずかに目を伏せた。

「一人には、しない」

低い声で、それだけ。

ロザリンドは小さく頷いた。

「ご配慮、痛み入りますわ。上司の同席は、面会を時間通りに切り上げる牽制けんせいとして効果的ですわ」

扉の陰で、侍従が天井をひとつ仰いだ。

──上司の同席、でございますか。今の、閣下のあのお言葉を。

預かった書類の角を、そっと揃え直す。ロザリンドは、見ていない。

ルーカスが、羽根ペンの先を、ほんの少しだけ強く押した。


ロザリンドが書類の山を半分ほど片付け、午後の予定の確認を終えた頃、別の侍従が青い顔で部屋に飛び込んできた。

「し、失礼いたします。あの、別便で、もう一通……」

「祖国から、ですか」

「祖国、というか、その」

侍従の手が、震えていた。

差し出された封筒は、紙の端がよれ、封蝋すらない。便箋を二つ折りにしただけの、見るからに略式のもの。

差出人欄に、震えた筆跡で一言。

ミリア・ロウ

執務室の空気が、わずかに止まった。

ロザリンドは、それを受け取り、表を一度、裏を一度、ゆっくり返した。

封もされていない便箋びんせんを、開きもせず、机の端に置く。

「……震える手で、まだここへ書いてよこすだけの気力はありましたのね」

短く、独り言のように。

ルーカスの視線が、その封筒の上で一瞬だけ止まった。

何か言いかけて、止める。彼は、ロザリンドが処理する事柄に、口を出さない男だった。

「閣下」

「ああ」

「本日の業務予定に、もう一件、追加することになりそうですわ」

ロザリンドはペンを取り直して、予定表の本日の欄に、もう一行書き足した。

面会、三十分

二十分よりは、十分だけ長い。

アルフレッドの件は、もう書面の上で片がついている。賠償も謝罪も、こちらの条件で文書に落ちている。顔を合わせるのは、ただの最終確認にすぎない。

だが、ミリアは違う。話は、まだ何ひとつ済んでいない。

──だから、十分だけ余計にくれてやることにした。

それが情けではなく、未処理案件を片づける手間の分であることは、ロザリンド自身が一番よくわかっていた。


午後二時まで、あと一時間。

窓の外では、祖国の馬車が大公国の正門をくぐったとの報せが届いていた。金の装飾、白い駿馬しゅんめ、王家の紋章。「御自ら」にふさわしい、相変わらず派手な編成。

ロザリンドは紅茶を一口だけ飲んで、口の中で小さくつぶやいた。

「ようこそ、王太子殿下」

「お会いするのは、婚約破棄こんやくはき以来ですわね」

第39話 王太子殿下、御自ら関所にご来訪──面会時間は二十分でございます

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『王妃という名の社畜2.0、お断りします』は、前世を思い出した悪役令嬢が、自分の人生を取り戻す物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。