第27話 027

求婚状の山

「ロザリンド様、これ、また増えています……」

朝の執務室。秘書官ひしょかんのアンナが、両腕で抱えきれないほどの書状しょじょうの束を、机の端にどさりと積んだ。

封蝋の色がきれいに並ぶ。深紅、群青ぐんじょう若草わかくさ、銀、金。各国王家の紋章ばかりが、朝の光の中でつややかに並んでいた。

ロザリンドは試算表に書きかけの欄から顔を上げて、その小さな山を一瞥いちべつした。

「……まあ。賑やかですわね」

「賑やかとかの問題では、ええと、ですね」

アンナの声が裏返った。


ロザリンドは羽根ペンを置いて、上の一通を手に取った。

封蝋を解き、流麗りゅうれいな文字に目を走らせる。

「クラルク王国第二王子殿下より。生涯にわたる経済協力けいざいきょうりょく打診だしん──」

「ロ、ロザリンド様」

「ええ、自国の港湾建設こうわんけんせつに、うちから長期で出資しゅっししてほしい、という案件ね」

ロザリンドは即座に手元の財政表ざいせいひょうを引き寄せ、頭の中でクラルク王国の歳入さいにゅう構造と回収かいしゅう年数の試算を始めた。

「クラルク王国は鉱物資源こうぶつしげんと織物が主軸。長期出資でしたら、出資比率しゅっしひりつの上限と、回収年数、それに為替かわせリスクの分担条項ぶんたんじょうこうを……アンナ、議事録用の用紙を一枚」

「いえあのそれ、出資の話ではなくてですね」

「ええ?」

ロザリンドは怪訝けげんそうに眉を寄せ、書面の末尾を確認した。

「『貴殿きでんとの生涯の契約を熱望ねつぼうする』──ええ、長期契約の意気込みの常套句じょうとうくですわ。祖国の商家しょうかでも見た言い回し。問題ありません」

「問題、あります」

アンナはほとんど泣きそうな声を出した。

ロザリンドはきょとんとして、首をかしげた。

「あら。私、何か読み違えました?」

「いえ、その、なんと申し上げますか……」

アンナは、続きを言うべく口を開いた。

開いて──そして、執務室の奥の机に座っているもう一人の人物の視線に気づいて、ぴたりと閉じた。


ルーカスは、書類から目を上げていなかった。

ただ、ペン先が、止まっていた。

アンナの背中を、薄氷はくひょうやいばのような視線が、無言で押している。

──黙れ。

そう聞こえた気がして、アンナはひそかに息を呑んだ。

「……いえ、なんでもございません。ロザリンド様の解釈で、ええ、たぶん、それで合っております」

「合っておりますの?」

「合っております合っております」

「合っているならよろしいですわ」

ロザリンドはあっさり頷いて、用紙を引き寄せた。

「では、まずクラルク王国分の試算から。長期出資の前提条件として、両国の財政ざいせい構造を……」

カリ、と羽根ペンが走り始める。

その背後で、ルーカスが静かに立ち上がった。


ルーカスは、机の端の山に手を伸ばした。

上から一通。

「──確認する」

「あ、閣下、それは」

アンナの語尾を待たず、彼はその一通を自分の机の引き出しへ滑り込ませた。鍵がかかる音。

二通目。

「これは私が処理する」

暖炉の前へ歩いて、開封もせずに脇の小卓しょうたくに置いた。

三通目。

ためらわず、火に投げ入れた。

封蝋がぱちりと割れ、紙が縮れて、青いほのおの色に変わって燃え落ちる。

アンナは見ないふりをした。

四通目、五通目、六通目。

封筒ふうとう差出人さしだしにんによって、彼の処理は変わった。引き出し行き、小卓行き、暖炉行き。三通に一通の割合で、書面が炎に消えていく。

ロザリンドは試算表に没頭していて、燃える紙の匂いに、一瞬だけ鼻を動かした。

「閣下、暖炉、煙が」

「古い書類を整理している」

「左様ですか。お忙しいところ、案件を引き取っていただいて恐縮きょうしゅくですわ」

ロザリンドは、心の底からの感謝を込めてそう言った。

(閣下も、ご自分の業務がおありですのに、宛先違あてさきちがいの郵便物まで仕分けてくださるなんて。なんて行き届いた上司かしら)

ペン先がふたたび走り出す。

ルーカスの手が、暖炉の前で、ほんの一瞬だけ止まった。


アンナは、震える指で、机に残った最後の一通を取り上げた。

差出人の封蝋を確認しようとして──気配を察したルーカスが、横から手を伸ばし、その封筒を受け取った。

普段ならそのまま暖炉に投げ込むはずだった。

けれど、ルーカスの指は、差出人の名の上で、止まった。

眉が、わずかに動く。

封蝋の紋章は、海峡対岸かいきょうたいがんのある王家のもの。彼が、過去に外交がいこうの席で直接対峙たいじしたことのある男の家紋だった。

ルーカスは、その封筒を、燃やさなかった。

引き出しにも入れず、小卓にも置かず。

自分の上着のうちポケットに、無言で滑り込ませた。

それから、ごく低い声で、独り言のようにつぶやいた。

「──これは、本人が来るだろうな」

アンナは、聞かなかったふりをした。

聞かなかったふりをしながら、心の中で、深い溜息ためいきをついた。

(ロザリンド様、ロザリンド様。閣下がご自分でお手にお取りになる差出人がいる、というのが、もう、その、ですね……)

(いえ、もうよろしいです。私は申し上げません)

(申し上げたら、たぶん、私が暖炉に投げ込まれます)


「アンナ、次の議題」

ロザリンドが、試算表の一枚目に大きく丸を打ちながら、顔を上げた。

「クラルク王国への長期出資、たたき台ができましたわ。閣下、午後にお時間いただけますか」

「いや」

ルーカスは即答そくとうした。

「クラルク王国への出資は、見送る」

「あら、なぜ」

「出資に見合う回収が、見込めない」

短い、いつもの調子の声だった。

ロザリンドは納得して、ペンを置いた。

「承知いたしました。では、クラルク分の出資試算は念のため保管しておきますわね。いつか必要になるかもしれませんし」

(けれど、本日中にまた別の打診が来るかもしれませんわね。先ほど三通目が届いていましたし。──いえ、閣下が処理してくださったのだったかしら)

ロザリンドは、自分の試算表に「クラルク:保留」とだけ書き込んだ。

その筆先のすぐ向こうで、ルーカスが自分の内ポケットに手をやり、封筒の角を、指先で一度だけ確かめた。

朝の光が、執務室の床に長く伸びていた。

来客らいきゃくの知らせが届くのは、その日の午後のことだった。

第27話 求婚状の山

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『王妃という名の社畜2.0、お断りします』は、前世を思い出した悪役令嬢が、自分の人生を取り戻す物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。