第16話 016

初めての夜会

「業務命令、ですわね」

執務机に置かれた一枚の招待状を、ロザリンドは羽根ペンの先で軽く押さえた。金箔きんぱくで縁取られた厚手の紙。来週、大公宮たいこうきゅうもよおされる晩餐会ばんさんかいへの、経済顧問あての公式招待状。差出人は、ルーカス・ヴェルナント大公たいこう

「随行、というよりは、単独招集の形ですわね」

書記官オズワルドが、机の向こうで微妙な顔をしていた。

「……ロザリンド様。一応、申し上げますが」

「はい」

「これは、業務命令、ではあります。が」

「が?」

「経済顧問が公式夜会やかいに正式招待されるのは、当大公国たいこうこくの歴史上、初でございます」

ロザリンドは三秒ほど沈黙して、招待状の文面を二度目に読み直した。

「初、というのは、業務上、参考になる情報ですか」

「……たいへん、参考になる情報かと存じます」

「では、覚えておきますわ」

オズワルドは天井を見上げた。──このあるじは、何を覚えても意味の半分も把握はあくしていない。最近、彼はひそかにそう思い始めている。


夜会前日。

侍女頭がロザリンドの私室ししつに運び込んだのは、深い青のドレスだった。

「閣下のご指示でございます。経済顧問のお立場に、ふさわしいものを、と」

ロザリンドは布地ぬのじを指でつまんで、わずかにまゆを寄せた。

「……いささか、上等すぎませんこと?」

「ふさわしいもの、との仰せでしたので」

「業務用の制服扱いで、よろしいのね?」

「……ええ、まあ、お好きに」

侍女頭が最近覚えた言い回しだった。。この主の鈍感どんかんさに正面から答えると、こちらの寿命じゅみょうが縮む。

ロザリンドは布地を肩に当てて、姿見すがたみの前に立った。銀髪に深い青がよく映える。──前世の田中律子たなかりつこが、一度も着られなかった色だ。

(経費で上等な服が支給される。悪くない労働環境ですわね)

そう結論を出して、彼女は満足した。


晩餐会当日。

馬車から降りた瞬間、ロザリンドは大広間おおひろまの入り口の空気を、二秒で読んだ。

(……ああ、これは)

扇で口元を隠した令嬢たちの視線。一斉にこちらを向き、一斉にらされる。低く抑えられたささやき。

(──お局様つぼねさま派閥はばつ挨拶あいさつを入れ忘れた、月曜の朝の空気そのものね)

ロザリンドの内側で、田中律子が勝手に翻訳していた。

「あら、あの方が……」

「祖国を、追われたとか」

「氷の大公が、何をお考えで……」

扇のかげの声は、わざと聞こえる距離まで押し出されている。。前世の給湯室きゅうとうしつで何度も聞いた音色だった。

ロザリンドは表情を動かさず、宮内官くないかんうながされるまま大広間の中央へ進んだ。

(参加者名簿、各家の領地収支りょうちしゅうし当主とうしゅの派閥、とついだ娘の交友こうゆう。──準備はできてる)

業務モードに、入った。


会場の奥の扉が、静かに開いた。

ルーカスが入ってきた瞬間、ロザリンドにも、空気の変化が分かった。

ドレスのすそが一斉に動いた。十数人の令嬢が同時に姿勢を整え、扇を持ち直し、最も美しく見える角度に首を傾ける。会場の温度が、ほんの少し上がった気がした。

(……うわぁ)

田中律子が、思わず声を上げた。

(新任のイケメン部長が初出社した日の、営業二課の女子と、同じやつ……)

ルーカスは、その視線のひとつも拾わなかった。

会場の中央を、誰も見ずにっ直ぐ歩いてきて、ロザリンドの隣で足を止める。

「準備はいいか」

短い、いつもの問い。

ロザリンドは小さく頷いた。

「ええ、業務開始ですわね」

ルーカスはわずかに視線を落として、ロザリンドの肩のあたりを一秒だけ見た。それから、何も言わずに視線を前に戻す。

令嬢たちの扇が、もう一度一斉に動いた。先ほどとは違う意味の動きだった。

ロザリンドは気づかない。


晩餐ばんさんの席次が告げられる前の、立食りっしょくの時間。

人波が、ゆっくりと割れた。

割れた先から、深い紫のドレスを纏った令嬢が、ひとり、こちらへ歩いてきた。

栗色の巻き髪、扇の縁から覗く青い瞳。歩き方ひとつに、家格かかくと慣れがにじんでいる。

「ハインリヒ伯爵家はくしゃくけのご令嬢、ベアトリス様」

オズワルドが、ロザリンドのななめ後ろから、ごく小さな声で告げた。

「先月の関税改定かんぜいかいていで、最も大きく収益を落とされた家、のご長女ちょうじょでいらっしゃいます」

(──ええ、存じておりますわ)

ロザリンドは、その家の収支報告書しゅうしほうこくしょを三回読み直していた。前月の麦の関税収入、対前年比17%減。鉱物商こうぶつしょうの引き上げ二件。回復見込み、三年後。

ベアトリスがロザリンドの正面に立つ。完璧な角度で微笑んで、扇をほんの少しだけ口元から下げた。

「まあ、エイベル様。お初にお目にかかりますわ」

声は、蜜のように甘く、計算されていた。

「お噂は、かねがね。──祖国では、ずいぶんとご苦労をされたとか?」

会場の音が、一段低くなった。

近くの令嬢たちの扇が、聞き耳を立てる角度に動く。

ロザリンドはゆっくりとベアトリスの瞳を見返し、ほんの少しだけ首を傾けた。

(──ああ、これも知っているわ)

前世の歓迎会かんげいかいで、お局様が新人にかける最初の一言と、まったく同じ温度。

ロザリンドは口角を、業務用にわずかだけ上げた。

「ご丁寧に、ありがとうございます、ハインリヒ様」

声は、淡々として、整っていた。

「ところで──先月のハインリヒ伯爵領はくしゃくりょう、麦の関税収支のお話。少々、ご相談させていただいても、よろしいかしら」

ベアトリスの扇が、空中で止まった。

会場の音が、また一段低くなる。

ルーカスは半歩後ろで、静かにワインの杯を傾けていた。

業務開始、ですわね──と、内側で田中律子がにやりと笑った気がした。

第16話 初めての夜会

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『王妃という名の社畜2.0、お断りします』は、前世を思い出した悪役令嬢が、自分の人生を取り戻す物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。