第2話

是非に及ばず

「明智の謀反(むほん)にございます! いかがなさいますか、殿!」

蘭丸(らんまる)が、もう一度叫んだ。涙声だった。

炎は、もう天井を這っている。寺ぜんたいが、巨大な松明(たいまつ)のように燃えていた。梁が、みしり、みしりと軋む。熱風が、頬を、喉を、容赦なく炙る。息を吸うたび、肺が焼ける。

外の喊声が、近づいたり、遠ざかったりする。誰一人、この炎の壁を越えて踏み込んでこられずにいる。

そうだろうとも、と俺は思った。

誰も近づけない。何年も、何十年も、俺を「魔王」だと思い込ませてきたおかげだ。みんな、俺が怖い。だから、この炎の中へ確かめに来る者など、いやしない。

それでいい。

それが、いる。

「お下知(げち)を……っ」

俺は、燃える梁を見上げた。喉が、煙で焼けるように痛い。心臓は、まだ、こわいくらいに暴れている。

こんな時まで、俺は怖い。手も、膝も、震えが止まらない。

それでも、と俺は思う。震える唇を、ひらいた。

「是非(ぜひ)に及ばず」

『是非に及ばず』

蘭丸が、息を呑んだ。

その六文字を、この子はきっと、覚悟の言葉として聞いただろう。逃げも、悔いもせぬ、魔王の壮絶な最期の決意として。後の世も、そう書き残すに違いない。

違うんだ。

これは、合図だ。

長いあいだ、たった一人の相手と、胸の奥だけであたためてきた――ある、企ての。その中身も、その意味も、今はまだ、言わずにおく。

「蘭丸。お前は、生きろ」

俺はそれだけ言って、奥の間へ踵を返した。炎が、背中を押すように吼える。

これが、俺という男の、物語の終い方だ。

第六天魔王(だいろくてんまおう)・織田信長は、ここで燃えて、灰になる。歴史には、そう刻まれる。

だが――

始まりは、ずっと、ずっと、臆病だった。

虫も殺せず、女に怯え、暗がりに震え、人を斬っては泣いていた、ただの怖がりの男の話だ。

その話を、はじめからしよう。

俺が、どうしてこんな「魔王」にされてしまったのか。そして、どうして今、こうして笑いながら炎の中に立っていられるのか。

――尾張(おわり)で「大うつけ」と呼ばれていた、あの頃から。

第2話 是非に及ばず

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『信長の野望 本能寺は変』は、戦国一の臆病者が「ただの優しい人間」に戻りたくてもがく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。