第73話

戦術革命

長篠の戦が終わると、世はひっくり返るほど騒いだ。天下無敵と謳われた武田の騎馬軍団を、鉄砲で打ち破った、というのだ。

なにしろ相手は、あの甲斐の虎の軍団だ。誰もが恐れ、誰もが敵わぬと思っていた。それを、鉄砲の煙の向こうに沈めた。噂は尾ひれをつけて、日ノ本じゅうを駆け巡った。

家臣たちは、誇らしげに語った。目を輝かせ、まるで自分の手柄のように。

「殿は鉄砲隊を三つの組に分け、入れ替わり撃たせ続けられた。これで玉込めの間が消えたのだ」

「絶え間なく撃ち続ける、この新しき戦の形。古き騎馬の世を終わらせる、まさに戦の革命よ」

「鉄砲をこれほど見事に使いこなす御方が、ほかにおろうか。織田信長こそ、時代を変える天才ぞ」

戦の革命。時代を変える天才。

そう聞いて、俺は思わず遠い目になった。

そんな大層なものではない。あれの正体は、腹を下した男たちの、順番待ちの列だ。

のちの世の者も、きっとこう書くのだろう。

『織田信長、鉄砲三千挺を三段に構え、入れ替わりに撃たせて、武田の騎馬を撃ち破れり。これぞ、時代を変えし戦術なり』

三段撃(さんだんう)ち、と、人はそれを呼んだ。

神算の極み、と讃えた。

鉄砲という新兵器の力を、誰よりも早く見抜いた革新者の発明である、と。

だが、本当のところを知る者は、誰もいない。

俺は別に、新しい戦術を編み出そうとしたわけではない。

ただ、武田の騎馬が怖くて。

近づかれるのが嫌で。

遠くから撃ち続けたかっただけだ。

そして、その「撃ち続ける」やり方を思いついたのは、合戦前夜、腹を下して並んだ、厠の行列だった。

一人出ては下がり、次が入る。あの途切れない流れを、ぼんやり眺めていて。

「ああ、鉄砲も、こうすればいいのか」と思った。

ただ、それだけのことだ。

俺は、ただの臆病者だ。腹の弱い、怖がりの平和主義者だ。戦の前夜に厠へ駆け込み、行列に並んで震えていた、ただの一人の男だ。

なのに世は、俺を鉄砲の威力を見抜いた、日ノ本一の火力の持ち主と呼び、戦術を創造した、稀代の天才と讃えた。

そのあまりのずれっぷりに、俺は笑うしかなかった。

けれど。

笑いながら、俺はふと思った。

俺が何をしても、世は勝手に俺を恐れ、讃え、近寄れぬ化け物に仕立てていく。将軍を追い、武田を破り、鉄砲を極めた、第六天魔王。新しき世の申し子。その化け物は、どんどん大きく、分厚くなっていく。本当の俺との間に、いくつも壁が積み上がっていくようだった。

誰も、本当の俺を見ようとはしない。

それは、たまらなく寂しいことでもあったが。

――もしかしたら。

その分厚い誤解の向こうへ、俺がある日、ふっと消えてしまっても。

誰も、追ってこられないのではないか。

その誤解が、いつか俺を自由にする。

そんな、ばかげた考えが、頭の隅をよぎった。

だが、それを形にする日が来るとは、まだ俺は知らなかった。

第73話 戦術革命

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『信長の野望 本能寺は変』は、戦国一の臆病者が「ただの優しい人間」に戻りたくてもがく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。