第75話

天にいちばん近い城

俺は、近江の湖のほとりに、天にいちばん近い城を建てた。

安土城(あづちじょう)。

七層にそびえ立つその天主(てんしゅ)は、見上げる者の首が痛くなるほど、高かった。

石垣は幾重にも積み上げられ、瓦は日を受けて銀色に光り、いちばん上の層は、金と朱で塗り上げられている。近江の民は、湖の向こうからその姿を見上げては、あれは人の建てた城なのか、と口をあんぐり開けたという。

世は、これをこう見た。

「魔王、ついに天をも睨む」

「あの城は、信長の威光そのものだ。あれほどの城を築ける者が、ほかにいるか。天下はもう、あの男の手の中だ」

天下人の絶頂を形にした城。誰もが、そう讃えた。

だが、俺の本音は、いつものように、まるで違っていた。

あれは、城じゃない。

俺の、いちばん高い隠れ場所だ。

考えてみてほしい。なぜ、あんなに高くするのか。下から登ってくる刺客を、一人でも、一歩でも早く見つけたいからだ。高いところに登れば、誰かが刀を抜いて近づいてくるのが、遠くから見える。それだけで、心臓の跳ね方が、少しだけ、ましになる。

なぜ、あんなに深く堀を掘るのか。誰も、たやすくは近づけないようにだ。なぜ、石段をあそこまで、人が二人並べぬほど急にしたのか。刀を抜いて駆け上がってくる者が、てっぺんに着くころには息を切らして、もう腕の一本も上がらないようにだ。

なぜ、抜け道を、天主のあちこちに仕込んだのか。いざというとき、俺だけが、こっそり逃げられるようにだ。

一つ一つ、こしらえた理由を並べていけば、そこにあるのは天下人の壮大な夢などではなくて、いつ殺されるかと怯えて震える、一人の男の、細かすぎる用心ばかりだった。

つまり、安土の天主は、天下人の威光なんかじゃない。

戦国一の臆病者が、ありったけの銭をつぎ込んでこしらえた、世界一立派な防空壕のようなものだった。ここまで来てしまった、という重圧を、そのまま石垣に積み上げた、逃げ場のない塔でもあった。

俺は、そのいちばん上に立つ。

眼下には城下が広がり、遠くには湖が、鈍く光っている。行き交う人も馬も、指の先ほどに小さい。天下のすべてが、この足もとから見渡せた。背後に、誰もいない。壁を背にすれば、後ろから刺される心配もない。近づいてくる足音も、抜き身の刃も、ここまでは届かない。

ここまで登って、ようやく俺は、ほんの少しだけ、肩の力を抜いて息をつけた。地に足をつけている限り、決して味わえなかった、束の間の安らぎだった。

なのに。

おかしなものだ。

高く登れば登るほど、安心を積み上げれば積み上げるほど、この天主のてっぺんまで、俺のそばに来られる者は、いなくなっていった。

俺は、ひとりに、なっていった。

第75話 天にいちばん近い城

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『信長の野望 本能寺は変』は、戦国一の臆病者が「ただの優しい人間」に戻りたくてもがく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。