第59話

中立でいてくれ

俺は、坊主が苦手だ。

いや、苦手というか――正直に言えば、怖い。経を読む声も、香のにおいも、暗い堂のなかでこちらをじっと見てくる目も。

何より、あの山には武装した僧兵(そうへい)が大勢いた。仏に仕える者が、刀や薙刀(なぎなた)を持っている。俺には、それがどうにもおそろしくてたまらなかった。

子どもの頃、坊主に地獄の話を聞かされたことがある。人を殺した者は、死んだあと、釜で煮られるのだと。それがずっと、頭の隅にこびりついて離れない。俺はできることなら、地獄になど堕ちたくなかった。仏とは、敵対したくなかった。

その比叡山が、俺の敵に回ろうとしていた。

姉川で、俺は浅井・朝倉を破った。だが、長政も朝倉も、滅びたわけではない。逃げ延びた浅井・朝倉の軍が――比叡山に籠もったのだ。延暦寺(えんりゃくじ)が、彼らを匿った。つまり、山ごと俺の敵になろうとしていた。

正直に言えば、俺は混乱した。なぜ、寺が戦に加わるのだ。仏に仕える者は、人を殺さぬのではなかったのか。俺の知っている仏の教えと、目の前の薙刀を持った僧兵とが、どうしても結びつかなかった。

だが、戦国の世だ。寺もまた領地を持ち、兵を抱え、己の力を守ろうとしていた。俺のような者が、口を挟める話ではなかった。

俺は、慌てた。寺と戦うなど、まっぴらごめんだ。仏罰(ぶつばち)が怖い。僧兵が怖い。世間の評判も怖い。

そこで俺は、何度も、何度も、山へ使者を送った。頼むから、どちらにも味方しないでくれ、と。

「儂は、寺を攻めたくはない。どうか、中立でいてくれ」

「浅井にも朝倉にも与せず、ただ、静かにしておってくれれば、それでよい」

低く、短く、そう伝えさせた。

一度では、足りなかった。二度、三度と、使者を送った。そのたびに、言葉を変え、人を変え。なんとか穏便に収まってくれと、祈るような気持ちで。

本音を言えば、土下座でもしたい気分だった。頼む。見逃してくれ。儂を、巻き込まないでくれ。戦いたくないんだ。誰とも。

だが、そんな弱気を使者に言わせるわけにもいかない。だから、できるだけ短く、威圧的に伝えさせた。

それが――裏目に出た。

俺の必死の懇願は、山の僧たちには、こう聞こえたらしい。

「魔王・信長が、聖なる山に臣従を迫ってきおった」

「仏法を恐れぬ、不遜なる所業よ」

違う。俺はただ、怖くて頼んでいただけだ。頼む。どちらの味方もせんでいい。ただ、儂と争わんでくれ。

――その願いは、容れられなかった。

第59話 中立でいてくれ

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『信長の野望 本能寺は変』は、戦国一の臆病者が「ただの優しい人間」に戻りたくてもがく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。