第96話

泰平を、継ぐ者

羽柴秀吉は、約束を守った。

明智を討ち、柴田を破り、やがて関白(かんぱく)にまで上りつめて、秀吉はついに天下を統一した。戦乱の世を、ひとまずまとめあげたのだ。

あの猿が。

あのハゲネズミが。

「あとは、儂が」と、灰に向かって誓ったとおりに、天下を奪ってみせた。

だが、秀吉の世も、永くは続かなかった。

そして、その後を天下を継いだのは――徳川家康。

俺の、もう一人の相棒だった。

ここからしばらく、語り手をあいつにゆずろうと思う。なぜなら、その先のことをいちばんよく知っているのは、俺ではなく、天下を継いだあいつ、だから。

――信長さん。

家康は、江戸城(えどじょう)の天守(てんしゅ)を見上げていた。

長い、長い戦の世が、終わった。

関ヶ原(せきがはら)を経て、大坂(おおさか)の陣を経て、ようやくこの国から、戦というものが消えた。

俺は、江戸に幕府(ばくふ)を開いた。

人質の子供だった頃、俺はいつも震えていた。明日、殺されるかもしれない。誰も信じられない。怖くて、夜も眠れなかった。

そんな俺に、一人の奇妙な少年が声をかけてくれた。

「お前も――死ぬの、怖いか?」

ぎょっとした。だって相手は、織田の跡取りだ。なのにその目は、俺と同じ色をしていた。

おびえた、子供の目だった。

「筋肉は、裏切らない」と、あの人は言った。

「怖いなら、せめて、強くなろう。生きのびるために」

二人で、馬鹿みたいに体を鍛えた。並んで震えて。並んで汗をかいて。あれが俺の、生涯でたった一人の、対等の友だった。

天下を二分する、と世間は言った。狸(たぬき)と魔王だ、と。

馬鹿を言え。

俺たちは、ただの筋トレ仲間のビビリ二人だ。

家康は、天守の欄干に手をかけた。

――信長さん。

見ていてくれましたか。

あなたが、あんなにも怖がりながら。命がけのハッタリで。震える手で守ろうとした、この国を。

俺は、今度こそ。

誰も怯えなくていい。夜中に槍を握らなくていい。腹を壊した日も、安心して眠れる。

そういう世に、しましたよ。

二百六十年。

戦のない世が、続くことになる。

人々は後の世まで、こう語るだろう。

鳴かぬなら殺してしまえ、と詠んだのが、信長。

鳴かせてみせよう、と詠んだのが、秀吉。

そして――鳴くまで待とう、と詠んだのが、家康だ、と。

家康は、すこし笑った。

違うよ。

あの人は、殺してなんかいない。

本当は、鳴かせたくもなかった。

ただ、怖くて。

誰も傷つけたくなくて。

ずっと、ずっと、ないていた、だけの。

世界でいちばん優しくて。

世界でいちばん臆病な、男だったんだ。

家康は、空を見上げた。そして、思った。

あの人は今ごろ、きっとどこかの田舎で、何にも怯えずに笑っているだろう、と。

第96話 泰平を、継ぐ者

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『信長の野望 本能寺は変』は、戦国一の臆病者が「ただの優しい人間」に戻りたくてもがく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。