第83話

降りたい者どうし

武田を滅ぼしたあと、嫡子の信忠が、安土に戻ってきた。俺は、人払いをして、天主の一室で、二人きりになった。血の繋がった息子とこうして向き合うのは、いつ以来か、思い出せないほど、久しぶりだった。

信忠は、初め、ひどく硬かった。俺の前では、いつもそうだ。こいつにとって、父である俺は、あいかわらず近寄りがたい魔王だった。家督を譲られても、武田を討つ手柄を立てても、父の本当の顔を、こいつは、何も知らない。

「信忠」

俺は、できるだけ静かに、声をかけた。

「武田攻め、ご苦労だった」

「は……いえ。父上の、ご威光のおかげに、ございます」

声が強張っている。いつもの答えだ。誰もが、こう言う。

俺は、しばらく迷ってから、思い切って訊いた。

「信忠。お前は、織田の家督を継いで、重荷に感じてはいないか」

信忠の肩が、びくり、と揺れた。

長い沈黙のあと、うつむいたまま、絞り出すように言った。

「……恐れながら」

声が震えていた。

「正直、申し上げれば。父上の跡を継ぐのが、恐ろしゅうございます」

「儂は、父上のように強くはありませぬ。あの、魔王と呼ばれる御方の跡を、とても背負いきれる気がいたしませぬ」

「天下をまとめよと言われても、儂には、荷が勝ちすぎて。夜も、眠れぬ夜がございます」

ぽつり、ぽつりと、息子は、初めて俺に弱音をこぼした。

俺は、その震える背中を見つめながら、胸がいっぱいになった。

ああ。

こいつも、そうだったのか。

俺は、自分でも驚くほど自然に、息子の肩に手を置いていた。人に触れるのが、あれほど苦手な俺が。

「……信忠」

俺は、ほんの少しだけ、生まれて初めて、息子に本当のことを漏らした。

「降りたいのは。儂も、同じだ」

信忠が、はっと顔を上げた。信じられない、という目で、俺を見た。

俺は、その驚いた顔に向かって、ほんのかすかに笑ってみせた。

「お前が嫌なら、無理に背負わなくていい。重荷など、どこかで、そっと下ろしても、いいのだ」

「父上……それは、いったい……」

「いまは、まだ言えぬ。だが、近いうちに、お前にも、儂の本当の肚(はら)を話す」

その夜、俺と息子のあいだの、長い誤解が、ほんの少しだけ溶けた気がした。

理解者は、帰蝶と秀吉と家康。そこに、息子の信忠と、すり減った明智が、加わるかもしれない。

役者は、少しずつ、揃い始めていた。

俺の、世界一ばかげた段取りは、この、安土の天主で、静かに動き始めた。

あとは。

あの、本能寺で。

第83話 降りたい者どうし

ページの先頭へ

BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『信長の野望 本能寺は変』は、戦国一の臆病者が「ただの優しい人間」に戻りたくてもがく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。