第58話

焼くな、と俺は言った

俺の生涯で、いちばん取り返しのつかないことをしてしまった話をする。

これから話すことは、笑い話にはならない。ずっと、話さずにおこうかと思っていた。何度も、口を開きかけては、やめた。思い出すだけで、息が苦しくなる。

それでも――これを話さなければ、俺がなぜ、最後にすべてを捨てて消えたのか、その本当の理由が伝わらない。俺の小さな願いが、どこから始まったのか。そのいちばん深いところに、この夜がある。

だから、話す。逃げずに、話す。

俺は、山を焼いた。

比叡山(ひえいざん)を。

千年のあいだ、仏を祀ってきた、あの山を。僧も、そうでない者も、その日、山にいた多くの命が失われた。

どれほどの数が失われたのか。それは、言い伝える者によってまちまちだ。少なかったと伝える者もいれば、おびただしかったと伝える者もいる。俺には、正確なところは分からない。数えることなど、できなかった。数えようとすることすら、許されないと思った。

ただ、一つだけ確かなのは。

戻らぬ命が、たくさんあった、ということだ。それを、俺がやった。

「第六天魔王、織田信長」。

世が俺を、そう呼ぶようになったのは、この日からだ。仏敵(ぶってき)。神も恐れぬ、悪鬼。そう呼ばれるようになった。後の世まで語り継がれる、俺のいちばんおそろしい所業として。

その通りだ、と思う。弁解はしない。火を放ったのは、まぎれもなく、この俺の手だ。誰のせいにもできない。

だが――聞いてくれ。

俺は、焼きたくなんてなかった。仏が怖かった。罰が当たるのが怖かった。坊主が怖かった。人を殺すのが、何より怖かった。

俺はただ、争いごとを避けたかった。寺とは、事を構えたくなかった。できることなら、誰とも戦わずに済ませたかった。

そういう男だ。俺は。虫一匹、踏むのもためらうような。人を斬れば、必ず夜通し泣くような。そういう、情けない男だ。

なのに。

なぜ、あんなことになってしまったのか。それを、順を追って話さねばならない。

俺は、好きで山を焼いたのではない。俺は何度も、何度も、それを避けようとした。頼むから、戦わずに済ませてくれと、頭を下げ続けた。なのに、すべての道が塞がれて。最後の、最後に。俺の中のいちばんおそろしいものが、目を覚ましてしまった。

その、すべてを、これから話す。

思い出すだけで、胸が潰れそうになる。声が震える。

だが――俺はただ、穏便に済ませたかったのだ。

なのに。

第58話 焼くな、と俺は言った

ページの先頭へ

BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『信長の野望 本能寺は変』は、戦国一の臆病者が「ただの優しい人間」に戻りたくてもがく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。