第66話

望まぬ天下

俺は将軍を、京から追い出した。

足利義昭(あしかが よしあき)。室町(むろまち)の十五代将軍。二百年あまり続いた足利の天下を、その手で束ねていた人だ。

その人を、俺は京の外へ放り出した。

言葉にすると、あっさりしている。だが、やったあとで背筋が凍った。世がひっくり返るほどの大事だった。なにしろ室町の世が終わったのだ。

二百年だ。俺が生まれるよりずっと前から、この国の頂きにあった名だ。それが、ぽきりと折れた。

俺の手で。

「織田信長、ついに将軍をも超えたり」

「足利の天下をおのが手でたたみ、新しき世の扉を開いた」

「これぞ第六天魔王の、底知れぬ野望よ」

家臣はそう言って震えた。後の世の者も、きっとそう書くだろう。

新しき世の扉を開いた、と。

違う。

俺は、扉なんて開けたくなかった。

開けるどころか、できることなら鍵をかけて、閂まで下ろして、その内側でじっと縮こまっていたかった。

そもそも義昭を京へ連れてきたのは、俺だ。担いで上洛して、将軍の座に据えてやった。恩を売ったつもりだった。頂きにいる人が味方なら、これほど心強いことはない、と。なのにいつのまにか、その人が俺を疎んじ、あちこちに信長を討てと書状を回し始めた。

御内書(ごないしょ)、という。将軍の名で書かれた、俺を殺せという手紙だ。それが諸国を飛び交っていると聞いたとき、俺は飯が喉を通らなくなった。

裏切られるのが、いちばん怖い。

背中に刃が回ってくる気配が、いちばん嫌だ。頭の後ろが、いつもすうすうする。誰かがそこを狙っている気がして、夜、まともに眠れない。

だから、放り出すしかなかった。

殺すのは嫌だった。あんなに頭を下げて担いだ人を、この手で斬るなんて、考えただけで吐き気がした。だから命だけは取らずに、京から出て行ってもらった。それが、俺にできる精いっぱいの優しさだった。

そうしたら、足利の天下が終わってしまった。

俺はただ、自分の背中を守りたかっただけなのに。

その同じ年、近江の浅井と越前の朝倉も滅びた。俺を何度も裏切り、追い詰めた者たちだ。

戦って、戦って、戦った末に滅ぼしてしまった。望んだわけではない。逃げ場がなかっただけだ。向こうが刃を向けてくるから、俺は震えながら、それを払いのけ続けた。気がついたら、相手がいなくなっていた。

滅ぼすたびに、俺は夜、布団の中で膝を抱えた。また減らしてしまった、と。味方であれ敵であれ、俺という人間を囲んでいてくれた誰かが、また一人、周りから消えた。

そうして、気がつけば。

俺は天下の、いちばん高いところに立っていた。

将軍を超えた、新時代の覇者として。

足元を見下ろせば、地面がずっと、ずっと遠い。高い場所は、隠れる物がない。壁もない。柱もない。ただ、四方八方から丸見えだ。どこからでも狙える。どこからでも、突き落とせる。

ここから落ちれば、ただでは済まない。

天下のいちばん高いところに立たされた俺は。

ただ、怖くてたまらなかった。

早く、誰も見ていない低い場所へ、帰りたかった。

第66話 望まぬ天下

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『信長の野望 本能寺は変』は、戦国一の臆病者が「ただの優しい人間」に戻りたくてもがく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。