第7話

天魔のごとし

困ったことに、俺の臆病は、ことごとく裏目に出ていた。いや、裏目というのは正しくない。世間が、俺の臆病を、まるごと逆さまに読んでくれていた、というべきか。

怖くて震えていると、肝が据わっていると言われる。怖くて逃げると、深慮遠謀(しんりょえんぼう)と言われる。何をどう怯えても、それが勝手にひっくり返って、立派な話になって返ってくる。

これはこれで、恐ろしい。俺が何もしなくても、俺の像だけが、俺の知らぬところで、どんどん大きくなっていくのだ。

数えてみよう。

暗殺が怖くて、狂ったように体を鍛えた。

――「常人離れの武勇。武神のごとし」

筋肉が落ちるのが怖くて、歩きながらサトイモを齧った。

――「飢えた狼。常に飢え、常に渇いておられる」

人が怖くて、ろくに口をきかなかった。

――「寡黙にして底知れず。何を考えておられるか、誰にも読めぬ」

女が怖くて、縁談から逃げ回った。

――「色になびかぬ、並外れた胆力」

何一つ、合っていない。

俺は強くもないし、飢えてもいないし、底も浅いし、胆も小さい。ただ、怖いだけだ。怖くて怖くて、震えながら、生き延びる工夫を重ねてきただけだ。なのに、その工夫の一つ一つが、噂の中で勝手に膨らんで、尾ひれがつき、いつの間にか――

「織田の若殿は、天魔のごとし」

そんな言われ方まで、されるようになっていた。

天魔。

人ならぬもの。

はじめて耳にしたとき、俺は、ぞっとして、しばらく声も出なかった。冷や汗が背を伝った。そんな大層なものに祭り上げられて、いよいよ怖い相手として狙われたらどうする、と。的が、大きくなってしまうではないか、と。

けれど、ある晩、土間で槍を振りながら、荒い息の合間に、俺は、ふと気づいてしまった。

天魔だと思われている間は――誰も、近づいてこないのだ。

恐ろしい相手には、人は刃を向ける前に、まず足がすくむ。間合いを詰めてこない。背後に立とうとしない。魔物に、わざわざ近寄る者はいない。

つまり、怖がられるというのは。

俺にとって、いちばんの、護りなのではないか。

槍を止めて、俺は暗い土間にしゃがみ込んだ。肩で息をしながら、その考えを、ゆっくりと転がしてみる。

うつけと笑われるのも、悪くない。だが、天魔と恐れられるのは――もっと、いい。うつけは、侮って近づいてくる者がいる。だが、天魔には、誰も近づいてこない。

怖がられるのは、嫌いじゃない。むしろ、ありがたい。だってその方が、誰も近づいてこない。誰も、近づいてこなければ。

背後に、誰も立たなければ。

少しだけ、安心して、眠れる。

怖がられていれば、生きていける。ならば、いっそ、とことん怖がられてやろう。うつけの皮の上から、天魔の面を、もう一枚かぶってやろう。そうすれば、この震える臆病な腹の底は、二重の面の奥に、きっと誰にも見つからない。

そう思ったら、なぜだか、笑いが込み上げてきた。天下一の臆病者が、天下一の魔物を演じる。こんな滑稽な話が、あるだろうか。

――今思えば。

この夜の、暗い土間で膝を抱えた、ちっぽけな思いつきが。

のちに、世界一ばかげた計画の、いちばん最初の煉瓦(れんが)になるなど。

このときの俺は、まだ、知る由もなかった。

第7話 天魔のごとし

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『信長の野望 本能寺は変』は、戦国一の臆病者が「ただの優しい人間」に戻りたくてもがく物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。