第7話

運命の歯車が、回る

卒業式の前日の夜、美月(みつき)は、料理人になると決(き)めた。

半年前に死んで代わりとなった円筒形(えんとうけい)デバイスのAIは、青い光を点(とも)し、父の声で、美月に理由(りゆう)を問(と)うた。

この夜の決定(けってい)が、父の遺(のこ)した未完(みかん)の研究と、まだ名前も知らない桐生(きりゅう)という男との因縁(いんねん)の入口に位置(いち)していたことを、美月は、このときまだ、知らなかった。

式は明日の午後だった。袴(はかま)は莉子(りこ)の家から借りることになっていて、髪結(かみゆ)いの予約は明日の十二時。莉子からは夜のうちに『明日の朝、迎えに行く。髪盛りすぎ注意』とスタンプ付きでメッセージが来ていた。美月は『りょ』とだけ返した。

寝るまでの三時間ほどを、美月は父の蔵書(ぞうしょ)を段(だん)ボールに詰める作業に充(あ)てた。父のAI研究室を引(ひ)き継(つ)いだ室田葵(むろたあおい)から、専門書(せんもんしょ)を後輩たちに譲(ゆず)りたいと連絡が来ていて、平日のうちに取りに来ることになっていた。リビングで詰めるのは気が散ると思い、書斎(しょさい)に箱を運び込んだ。

机の上のデバイスは、青い光を点(とも)したままだった。

『支度は、間に合うのか』

機械が言った。父の声で、言った。

「髪結いが、明日の十二時。式は、明日の十三時」

『式辞(しきじ)は十五分。卒業証書授与(そつぎょうしょうしょじゅよ)は、君のクラスは五番目で、十三時三十二分から始まる順序(じゅんじょ)になっているはずだ』

「そんなとこまで知ってるんだ」

『学校のサイトに、進行表(しんこうひょう)が載(の)っている』

美月は手を止めなかった。本棚(ほんだな)の中段(ちゅうだん)、父が「学生用」と書き込んだ箱に、専門書を背表紙(せびょうし)の順で詰めていく。

『美月。進路(しんろ)の話を、いつする』

美月は手を止めた。背表紙の二冊が、半端(はんぱ)に飛び出したまま、棚(たな)の縁(ふち)で止まっていた。

「もうしたよ」

『いや。決定の事後報告(じごほうこく)は受けた。判断過程(はんだんかてい)の話は、まだしていない』

「同じことじゃないの」

『違う』

機械の声に、温度はなかった。

『君は四月から、駅向こうの「銀杏亭(いちょうてい)」に住み込みで弟子入(でしい)りすると言った。理由(りゆう)を、説明していない』

「説明しないとだめ?」

『父さんなら、説明させる』

それは事実だった。父は決定の事後報告を嫌(きら)う人だった。「お前は決めるのは早いが、決めた理由を言葉にするのが下手だ」と、生前(せいぜん)何度も言われた。

美月は本を一冊棚から抜いて、箱に入れた。背表紙には『感情(かんじょう)シミュレーションの限界(げんかい)』と書かれていた。父の名前が著者欄(ちょしゃらん)にあった。

「……父さんの本」

『私のもとになっているデータの一部だ』

「読んだ?」

『父さんの全著作(ぜんちょさく)は、私のストレージに最初から積(つ)まれている。読む、というのが目を通すことを指すなら、コンテキストに著書(ちょしょ)をのせるだけだ』

美月は本を閉じて、箱に戻した。

『進路の話だが』

機械が話を戻した。

『君の成績(せいせき)と模試判定(もしはんてい)から見て、最適解(さいてきかい)は管理栄養士養成課程(かんりえいようしようせいかてい)のある四年制大学(よねんせいだいがく)だ。後期日程(こうきにってい)の出願(しゅつがん)は、まだ間に合う。私が用意できる』

「いらない」

『理由は?』

「ない」

『ない、はずがない』

「ない。あっても、言葉にならない」

機械は、しばらく黙った。書斎の窓の外は、すでに暗かった。隣家(りんか)の庭の梅(うめ)が、外灯(がいとう)の光で白く浮(う)いていた。風はなかった。花は、なぜか落ちていた。

『銀杏亭は、創業(そうぎょう)六十二年の個人経営(こじんけいえい)だ。後継者(こうけいしゃ)は不在(ふざい)。住み込み修行(しゅぎょう)の労働時間(ろうどうじかん)は、君がこれまで耐(た)えてきた範囲(はんい)を超(こ)える』

「うん」

『君は、それを知っていて選んだ。父さんなら、止める』

「止めるかな」

美月は箱の蓋(ふた)を閉じた。テープを切る音が、書斎に長く響(ひび)いた。

「父さんは、止めないよ」

『なぜ、そう思う』

「父さんは、私が決めた理由を言葉にできないとき、最後はいつも、好きにしろって言った」

機械は、また黙った。

『……データには、その傾向(けいこう)がある』

「でしょう」

美月は箱を床に下ろして、次の段に手を伸ばした。父の手書きのメモが何枚か、本のあいだに挟(はさ)まっていた。一枚を引(ひ)き抜(ぬ)いて、目を落とした。

走(はし)り書きだった。日付は三年前の冬。

ノイズの中に信号(しんごう)がある場合、モデルに、それをどう教えるか。

その下に、もう一行、別の日付で書(か)き足(た)されていた。

未完(みかん)。

美月は、そのメモをしばらく見ていた。意味(いみ)は、分からなかった。父はいろんな研究をしていた人だった。途中で投(な)げ出(だ)したものも多かった。

『美月。何を、見ている』

「父さんのメモ」

『読み上げてくれるか』

「……ううん。何でもない」

美月は、メモを本のあいだに戻した。挟んだ本の背表紙を、もう一度確(たし)かめた。それは料理の本ではなかった。父の専門書だった。

なぜそれがそこに挟まっているのか、美月には分からなかった。

ただ、何か、自分が焼(や)きあげなければならない一皿が、まだどこかに残っている気がした。理由は、やはり、言葉にならなかった。

『美月。銀杏亭の、何が、君に決定をさせたのか』

「分からない」

『分からないままで、いいのか』

美月は、箱の上に手を置いて、しばらく動かなかった。

「分からないまま行く」

『そうか』

機械は、それ以上は何も言わなかった。

書斎の時計が、十一時を打った。莉子から、明日の朝、袴を持って迎えに行くという連絡が、机の上のスマートフォンに小さく光ったままだった。

美月は、箱を一つだけ持ち上げて、廊下(ろうか)に出した。

書斎のデバイスは、机の上で、青い光を点したまま、何も言わなかった。

第7話 運命の歯車が、回る

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『父のAI』は、父が遺した対話AIと娘の、家族の時間をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。