第53話

父からのスピーチ

挙式(きょしき)は、ふだんの挙式の流(なが)れで進(すす)んだ。

誓(ちか)いの口(くち)づけのあと、披露宴(ひろうえん)会場(かいじょう)のドアが開(あ)いた。

上座(かみざ)のテーブルのいちばん奥(おく)に、空席(くうせき)の椅子(いす)がひと脚(きゃく)、置かれていた。座面(ざめん)の上に、円筒形(えんとうけい)のデバイスが置かれていた。青い光が、ふだんの強さで灯(とも)っていた。

いちばん最後で、ひと拍(はく)遅(おく)れたひと呼吸(こきゅう)が、もう一度繰(く)り返(かえ)された。

披露宴の料理(りょうり)が、いちばん最後の皿(さら)まで運(はこ)ばれて下(さ)げられた。

司会者(しかいしゃ)の声が立った。

「皆様(みなさま)、ここで、生前(せいぜん)の新婦(しんぷ)のお父様(とうさま)、故(こ)・佐倉健一郎(さくらけんいちろう)様(さま)より、御本人(ごほんにん)があらかじめ収録(しゅうろく)された映像(えいぞう)のメッセージがございます」

「健一郎様」、のひと呼吸で、会場の空気(くうき)の湿度(しつど)が上がった。

会場のスクリーンに灯(あか)りが落(お)ち、白さが灯った。内側に、ひとりの男の上半身(じょうはんしん)が立ち上がった。

髪(かみ)に白いぶんが混(ま)じる前の、健康(けんこう)だった頃の父だった。頬(ほお)は、ふだんの肉付(にくづ)きを保(たも)っていた。

父は咳払(せきばら)いをして、薄(うす)く笑(わら)った。それから、用意(ようい)してきた原稿(げんこう)を読(よ)み上げた。

読み上げる父の声は、ふだんの父の話し方より、ひと呼吸ぶん書(か)き言葉(ことば)のほうへ寄(よ)せられていた。

「娘(むすめ)へ。

今日という日の美月(みつき)を、私は見ることができなかった。

見られなかったことを悔(くや)しく思う気持ちが、どこかにあることを、私は隠(かく)さない。

隠さないまま、これを撮(と)っている。

撮っているいまの私の頭(あたま)のなかには、十七歳(じゅうななさい)の美月の横顔(よこがお)が立っている。

立っている横顔の向こう側に、いつか立つはずの誰(だれ)かの横顔が、薄く、薄く立っている。

その誰かは、私には見えない。

父はそこで原稿のいちばん上から目を上げて、もう一度薄く咳払いをした。原稿の上のひと文字を、ペンの先で薄く突(つ)いた。

……見えないものは、見えないままでいい。

見えないまま、私はこう思う。

美月が誰かを選(えら)び、選ばれたなら、それでよかった、と私は思う。

思ったまま、私は美月にひと言だけいいたい。

幸(しあわ)せになりなさい。

――父より」

スクリーンの内側の父は、原稿をテーブルに置いて、薄く笑った。

カメラのほうに目を向けた。目の奥に、ふだんの父には見られない種類(しゅるい)の湿(しめ)りが立っていた。

父はこう続(つづ)けた。

「美月の隣(となり)にいる誰かに、ひと言。

娘は、自分の手で選び、自分の手で運ぶ子だ。

その手から、何も奪(うば)わないでやってほしい。

私から申(もう)し上げるのは、ここまでです。

――以上(いじょう)」

「以上」のひと呼吸で、画面は暗転(あんてん)した。

透(とおる)は左手(ひだりて)を、美月の右(みぎ)のてのひらの上に置いた。

司会者がマイクを上げた。

「皆様、御父様(おとうさま)からの御挨拶(ごあいさつ)、ありがとうございました。続きまして──」

「続きまして」、のひと文字の上に、会場のスピーカーから、ノイズが乗(の)った。司会者の声が、止(と)まった。

上座のいちばん奥の空席のデバイスの青い光が、ふだんの強さのふた呼吸ぶん、強く灯った。

ノイズの混(ま)じった、もう一つの父の声が、立ち上がった。

『……父さんのスピーチは、ここまでだ。

ここから先は、私の話を聞いてほしい』

「ほしい」のひと文字で、会場の空気は止まった。

司会者のマイクが下りた。葵(あおい)はノートパソコンの上から両手を離(はな)し、莉子(りこ)は押(お)さえていた両手を薄く緩(ゆる)めた。

透だけが動(うご)かなかった。透の左手の温度(おんど)は、美月の右のてのひらの上に、深く留(とど)まったままだった。

美月は、上座のいちばん奥の青い光に目を向けた。

第53話 父からのスピーチ

ページの先頭へ

BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『父のAI』は、父が遺した対話AIと娘の、家族の時間をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。