第55話

退場

披露宴(ひろうえん)は、何事(なにごと)もなかったように再開(さいかい)した。フォークとナイフの金属音(きんぞくおん)と、知人(ちじん)と親戚(しんせき)のささやきの上で、上座(かみざ)のデバイスの青い光だけが、灯(とも)ったまま、もう何も語(かた)らなかった。

デザートの皿(さら)が下(さ)げられたあと、司会者(しかいしゃ)の声が薄(うす)く立ち上がった。

「皆様(みなさま)、本日(ほんじつ)は誠(まこと)にありがとうございました。続きまして、新郎新婦(しんろうしんぷ)の退場(たいじょう)でございます」

「退場」、のひと文字の向こう側で、披露宴の拍手(はくしゅ)が、ふだんの強さで薄く立ち上がった。

美月(みつき)は椅子(いす)から立ち上がった。透(とおる)も立ち上がった。

美月は、上座のデバイスに目を向けた。青い光は、灯ったまま、ひと拍(はく)遅(おく)れたひと呼吸(こきゅう)を、もう一度繰(く)り返(かえ)した。

繰り返されたひと拍を、美月は両目(りょうめ)の奥(おく)で受(う)け取(と)った。口の内側で、淡(あわ)くこう声を出した。

「父さん。あとで」

『あとで』

「うん」

『待(ま)っている』

「うん」

美月の左の薬指(くすりゆび)の銀色(ぎんいろ)のリングは、披露宴の橙(だいだい)の灯(あか)りに照(て)らされていた。

内側(うちがわ)の文字を、美月はまだ、自分の目で読まなかった。

読まないまま、透の右肘(みぎひじ)に、左手(ひだりて)を添(そ)えた。透は右肘を、まっすぐにした。

「美月。お父さん、立派(りっぱ)でしたね」

「うん。立派だった」

「いつものお父さんでした」

「うん。いつもの父さんだった」

二人は披露宴会場(かいじょう)のドアに向かって、拍手の内側を歩(ある)き出(だ)した。

テーブルのいちばん奥で、莉子(りこ)は上座の青い光に目を向けて、両手の内側で薄く頷(うなず)いた。

葵(あおい)はノートパソコンを閉(と)じて、上座の空席(くうせき)に向かって歩き出した。

円筒形(えんとうけい)のデバイスの白さは、書斎(しょさい)の机(つくえ)の上で見慣(みな)れた白さと、ぴたりと同じだった。

葵は、両手のひらでそれを包(つつ)んだ。

包んだ両手の内側で、青い光は、灯ったままだった。

「ケン先生(せんせい)」

『葵』

「披露宴会場のスピーカーの線(せん)、ここで切(き)る」

『うん』

「葵の車に積(つ)んで、家の書斎の机の上まで戻(もど)す」

『戻す』

「抱(かか)える。重(おも)い?」

『重さは判定(はんてい)できない』

「うん」

『葵』

「うん」

『先生を抱えたときと、同じくらいの重さで、抱えていい』

「うん」

葵の両手のひらの内側で、デバイスの表面(ひょうめん)のいちばん奥のほうから、ふだんよりひと呼吸ぶん低い出力(しゅつりょく)が立ち上がった。会場のスピーカーの線の、もう外側にあった。葵だけが、両手のひらの内側で、それを受け取った。

『葵。皆(みな)の前で語ってよいぶんは、もう、語った』

「うん」

『残(のこ)りのひと呼吸は、葵にだけ、置かせてほしい』

「うん」

青い光が、ひと呼吸ぶん深く落ちて、それからふた呼吸かけて、ふだんの強さに戻った。

葵は両手の内側の白さを、深く包み直(なお)した。「……うん」、と、口の内側で呟(つぶや)いた。

葵は両手のひらでデバイスを包んだまま、披露宴会場のドアに向かって歩いた。

足音(あしおと)は、拍手の内側で、薄く、薄く溶(と)けた。

上座のいちばん奥の椅子の座面(ざめん)は、もう、何も載(の)せていなかった。

第55話 退場

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『父のAI』は、父が遺した対話AIと娘の、家族の時間をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。