第54話 054

ケンの一礼

スピーカーの内側で、ノイズのじった父の声は、立ち上がったままだった。

ケンはこうつづけた。


皆様みなさま突然とつぜんみ、もうわけない。

私は、佐倉健一郎さくらけんいちろう対話型たいわがたAIだ。

便宜上べんぎじょう呼称こしょう、ケン。

上座かみざ空席くうせきに置かれた円筒形えんとうけいのデバイスが、私だ。

健一郎が生前せいぜん、自分の思考しこう記憶きおくうつして、むすめの家の書斎しょさいつくえの上に置いた。

置かれたまま、五年ごねんぶん娘とらした』


「五年ぶん」、のひと文字で、会場かいじょう空気くうきれた。

知人ちじん親戚しんせき視線しせんが、空席のデバイスの青い光にあつまった。新郎しんろうの母のかたかたく立ち、年配ねんぱいの親戚のスマートフォンは、せられた。新郎の従兄いとこ口元くちもとには、うすわらいが残ったままだった。となりの親戚が、ひじで軽くそれをめた。

あおいはノートパソコンの上から、会場の撮影さつえい回線かいせんを、もう一度とした。

『皆様の前で言うべきは、ひと言だけだ。

――本日ほんじつは、まことにありがとうございました。

動画どうがの健一郎のわりに、私からも、もう一度。

私が五年ぶん見守みまもってきた娘を、ここから先、どうかよろしくお願いします』


「よろしくお願いします」、のひと文字の向こう側で、会場の空気は、薄く湿しめった。

湿った空気のいちばん外側で、ふだんの披露宴ひろうえん拍手はくしゅ手前てまえが、薄くためらった。

ためらったぶんの向こう側で、ケンはこう続けた。

『私の話の続きは、べつで、ゆるしてほしい。

別の場とは、明日あすの朝、娘の家の書斎をす。

皆様の前でかたってよいぶんは、ここまでだ。

御静聴ごせいちょう感謝かんしゃします』


「感謝します」のひと文字で、スピーカーのノイズは退いた。

上座のデバイスの青い光が、ひとはくふかく落ちた。

ふた呼吸こきゅうかけて、ふだんの強さに戻った。

葵がつぶやいた。「……一礼」、と。

青い光は、ともったまま止まった。いちばん最後で、ひと拍おくれたひと呼吸が、もう一度かえされた。

葵は両目りょうめを伏せたまま止めた。


会場の拍手は、ふだんの披露宴の拍手よりふた呼吸ぶん遅れて、薄く立ち上がった。立ち上がった拍手は、ふだんよりふた呼吸ぶん深く、湿っていた。

莉子りこの両目のはしから、もう一度なみだがこぼれた。莉子は両手でさえた。

とおる左手ひだりて温度おんどは、美月みつきの右のてのひらの上に、深くとどまったままだった。美月は、ひと呼吸ぶんにぎかえした。透のてのひらは、薄く湿った。

美月は、上座の青い光に目を向けた。目の奥が、ふた呼吸ぶん湿った。

ひと呼吸ぶん、あわうなずいた。

頷いたぶんを、ケンは美月の耳飾みみかざしに、たしかにった。


司会者しかいしゃがマイクを、もう一度上げた。ふだんよりゆっくりと、こう続けた。

「……皆様、御父様おとうさまからの御挨拶ごあいさつ、ありがとうございました。続きまして、披露宴をすすめさせていただきます」


会場の空気は、ふだんの披露宴の空気よりふた呼吸ぶん湿ったぶんに戻った。フォークとナイフの薄い金属音きんぞくおんが、もう一度立ち上がった。

上座の青い光は、灯ったまま、もう何も語らなかった。

第54話 ケンの一礼

ページの先頭へ

BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『父のAI』は、父が遺した対話AIと娘の、家族の時間をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。