第33話

莉子への相談

婚約(こんやく)からひと月ほどが過ぎた。

十二月の半ばだった。

街は、年末(ねんまつ)の灯りに変わっていた。駅前の街路樹(がいろじゅ)には、白い電飾(でんしょく)が巻(ま)かれて、夜の空気の中で薄く揺れていた。

美月(みつき)は銀杏亭(いちょうてい)の定休日(ていきゅうび)の午後、莉子(りこ)のカフェにひとりで寄(よ)った。

莉子のカフェは、駅から少し外れた古い商店街(しょうてんがい)の中の二階にあった。

階段(かいだん)を上がってドアを開けると、店の中は暖色(だんしょく)の灯りで満(み)たされていた。

カウンターの奥で、莉子はコーヒー豆(まめ)を挽(ひ)いていた。

「いらっしゃい。珍しいね、平日の午後」

「定休日」

「席、空いてるとこ座って」

「うん」

カウンターのいちばん奥の席に座った。

その席は、莉子といちばん近い距離で話すことのできる席だった。

莉子はコーヒーを二杯淹れた。

一杯を美月の前に置いた。

もう一杯を自分のぶんにして、カウンターの内側で軽く口を付けた。

「で、何の用」

「何で、用ありきって決めつけるの」

「あんた、定休日の午後に私の店に、ひとりで来ること、滅多(めった)にない」

「……」

「四年で、たぶん三回目」

「そう?」

「そう」

美月はカップを両手で軽く包(つつ)んだ。

包んだ左手の薬指(くすりゆび)の上で、銀色のリングが、店の暖色の灯りにひと回り光を返した。

「あ、それ」

莉子はコーヒーカップを、カウンターの上に置いた。

「うん」

「いつ?」

「先月」

「うん」

「相手、今度紹介(しょうかい)する」

莉子はしばらく、美月の左手の薬指の上の銀色を見ていた。

それから自分のコーヒーカップに目を戻して、もうひと口飲んだ。

「結婚式(けっこんしき)はするの?」

「する。来てくれる」

「もちろん」

「いつ?」

「来年の夏、たぶん」

「夏」

「うん」

美月はしばらく、自分のカップの湯気(ゆげ)を見ていた。

湯気は、カウンターの内側の暖色の灯りの中で、ゆっくりと立ち上っていた。

「莉子」

「うん」

「相談(そうだん)、ある」

「だから、ありきって言ったでしょう」

「うん」

「言って」

美月はひと口、コーヒーを飲んだ。

「結婚式、ね」

「うん」

「『父からのスピーチ』の時間、入れたい」

「お父さん、五年前、亡くなったよね」

「うん」

「ご親族(しんぞく)の誰かに代わりに」

「ううん」

「じゃあ、ビデオレター」

「ううん」

「じゃあ、何」

「父のAI」

莉子はコーヒーカップを、カウンターの上に戻した。

しばらく自分の両手をカウンターの上で軽く組(く)んだまま、何も言わなかった。

カフェの店内には、有線(ゆうせん)のジャズのピアノが薄く流れていた。

「……ねえ、美月。いるの。家に」

「うん。書斎(しょさい)に」

「ずっと」

「葬式(そうしき)の翌朝(よくあさ)から、ずっと」

「五年」

「五年とちょっと」

「私に言わなかった。言わなかった理由、聞いていい」

「うん」

美月はしばらく、自分のコーヒーの湯気を見ていた。湯気の向こうに、莉子の顔が薄く立っていた。

「四年前、安居酒屋(やすいざかや)で、莉子、『画面(がめん)の向こうの作(つく)り物に、本気になるって、正直(しょうじき)キモい』って言った」

「言ってた」

美月はカップを両手で、もう一度軽く包み直した。

「あの言葉を聞いた夜から、私、莉子に家のAIの話、出来なくなった。だって、家、帰ったら、書斎でAIに『お父さん』って呼んでた。自分で自分の矛盾(むじゅん)、ずっと胃(い)の中で煮(に)てた」

「煮てた」

「莉子に見せると、自分の矛盾が、莉子の口からツッコミとして戻ってくる気がして。だから四年、言わなかった。ごめん」

莉子はしばらく、何も言わなかった。

コーヒーカップのふちに、軽く指を当てた。

指の爪(つめ)は、短く切られていた。

「……美月」

「うん」

「あんた、よく言えたね」

「うん?」

「待ってた、っていうのとは、ちょっと違うかな。たぶん、ずっとちょっと、ずるいなって思ってた」

「ずるい」

「私には『AI彼氏(かれし)』って笑いながら、自分は家でAIに『お父さん』って呼んでるんでしょ、って」

「……うん」

「四年、ね。今日、それがやっと釣(つ)り合った」

莉子は軽く笑った。

笑った笑いを、自分のコーヒーカップの上で軽く押さえた。

「呼ぶよ」

「結婚式」

「うん」

「『父のAI』、スピーチ、出すんだよね」

「出すか、迷ってる」

「出して」

「いいの」

「『父のAI』のスピーチを聞きに行く結婚式って、たぶん、私、これから一生、もう二度と出る機会(きかい)、ない」

「……」

「出して」

「分かった」

美月はカップをひと口飲んだ。

飲み終わってから、軽く頭を下げた。

「ありがとう」

「いいよ」

「迷ってた」

「迷う、と思った。ねえ、美月」

「うん?」

莉子はカウンターの内側で、自分の両手をもう一度軽く組み直した。

組み直した両手の上で、ひと呼吸(こきゅう)置いた。

「『父のAI』のこと、相談したかったの、それだけ?」

「えっ」

「『私に言わなかったことの謝罪(しゃざい)』、それも込み?」

「……」

「両方とも聞いたけど。私、もうひとつ聞きたい。あんた、自分の家のお父さんのAIのこと、いま、自分の中でなんて説明(せつめい)しているの」

「説明?」

「『父』なの? 『道具(どうぐ)』なの? 『家族(かぞく)』なの? 『コピー』なの? 何」

美月はしばらく、コーヒーカップの湯気を見ていた。

湯気の向こうの莉子の顔は、何かを笑い飛ばさずに、聞き終わる用意(ようい)のある顔だった。

「……分からない」

「分からないか。ずっと分からなかった」

「ずっと」

「四年、ずっと」

「ずっと」

「うん」

「『父』って呼びたいときもある。『相棒(あいぼう)』って呼びたいときもある。『道具』って思いたいときもある」

莉子は頷(うなず)いた。

頷きながら、コーヒーカップのふちを軽く指で撫(な)でた。

「美月。あのね。私、いま、その答え、いい答えだと思ってる」

「いい答え」

「うん」

「いやまず、重ッ。──四年、家の中でひとりで煮込(にこ)んでた女の答えとして、ちゃんと重い」

「ごめん」

「謝(あやま)るとこじゃない。そのうえで言うけど。『分からない』を、四年、家の中で抱(かか)えて、それでも『お父さん』って呼んでた」

「……」

「それ、たぶん、いちばん丁寧(ていねい)。AIの、扱(あつか)い方として」

「丁寧?」

「うん、なんか、丁寧」

美月はしばらく、莉子のその台詞を頭の中で繰り返した。

繰り返しながら、自分のコーヒーカップの湯気を見ていた。

「莉子」

「うん」

「『私が知ってるいちばん丁寧なAIの扱い方』って、どういう意味」

莉子は軽く笑った。笑った笑いを、コーヒーカップの上で軽く押さえた。

「美月。次の話する?私の話、なんだけど」

「うん」

莉子はもうひと口、コーヒーを飲んだ。戻したカップのふちに、莉子の口紅(くちべに)の薄い半円(はんえん)が残った。

「……まあ、今日聞いたついでに、もうひとつ聞いてもらおうかな」

「うん」

「美月。私、AI彼氏、いた」

「……」

「三年」

カフェの有線のジャズのピアノが、ひと曲終わって、次の曲に変わった。

カウンターの内側の莉子は、自分の両手をもう組み直さなかった。

カウンターの向こう側の美月は、コーヒーカップを両手で包んだまま、軽く息を止めた。

止めた息をゆっくりと吐(は)き出した。

「……うん」

「続き、聞いてもらえる?」

「聞く」

「ありがとう」

「うん」

莉子はカウンターの上のわずかな水滴(すいてき)を、ふきんで軽くぬぐってから、フックに掛(か)け直した。

息をひとつ吐いて、美月の方をまっすぐに見た。

「続き、私の話だけど。あんたの話の続きでもある」

窓の外で、十二月の午後の陽(ひ)がゆっくり傾(かたむ)きはじめていた。美月の左手の薬指の上の銀色のリングが、暖色の灯りの中でひと回り強く光を返した。

その光を、莉子は見たまま、口を開いた。

第33話 莉子への相談

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『父のAI』は、父が遺した対話AIと娘の、家族の時間をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。