第43話

葵の訪問

五日後の午後(ごご)、玄関(げんかん)のチャイムが鳴った。ケンのメンテを引(ひ)き受けている葵(あおい)が来た日だった。

「こんにちは。室田(むろた)です」

「こんにちは。葵さん。お久(ひさ)しぶりです」

「式まで、あと何日?」

「二四日」

「あー、もう、そこまで来てるんだ」

「来てる」

「ケン先生、今日、調子は?」

『半拍、遅れている』

「ずっと?」

『半年前から、加速している。残せるうちに残そうとしている。その分、早く崩(くず)れている』

葵は玄関で靴(くつ)を脱(ぬ)ぎ、揃(そろ)えて靴箱(くつばこ)の横に置いた。揃えた靴の向(む)きは、廊下(ろうか)の奥の書斎(しょさい)のドアの方を向いていた。

書斎に入ると、葵はいつもの椅子(いす)を引いて、ノートパソコンを置き、ケーブルをデバイスの底面(ていめん)のポートに差(さ)した。差した瞬間(しゅんかん)、青い光がひと呼吸強くなって、それからふだんの強さに戻った。

戻った強さの青の奥(おく)で、ケンの声が立ち上がった。

『葵』

「ケン先生、お疲(つか)れさま」

『お疲れ』

「健一郎(けんいちろう)先生に似(に)てる」

『似てる、と言われることが多い』

「はい」

葵の画面に、黒い背景(はいけい)のターミナルが立ち上がり、緑色(みどりいろ)のログの文字列(もじれつ)がひと呼吸、ひと呼吸流れていった。間隔(かんかく)が半年前よりわずかに長く、ログの量(りょう)そのものはひと呼吸ぶん厚(あつ)くなっていることを、葵は無言(むごん)で確(たし)かめ、いちばん下の行を、ひと呼吸ぶん長く見つめた。

「美月(みつき)ちゃん。お茶、もらっていい?」

「あ、ごめん、出すの忘(わす)れてた」

「いいの、いいの」

「すぐ入れる」

「ゆっくりでいい」

「うん」

美月は書斎をいったん出て、台所(だいどころ)に立った。お湯を沸(わ)かしながら、ドアの向こうから聞こえてくる葵のキーボードの音が、いつもよりほんの少しだけ遅(おそ)いことに気づいた。葵の指の調子(ちょうし)のせいではないことは、すぐに分かった。

急須(きゅうす)にお湯を注(そそ)ぎ、ふた呼吸置いたいちばん最後に、書斎のドアの向こうから、葵のため息がひと呼吸ぶん聞こえた。

お盆(ぼん)の上に、湯呑(ゆの)みをふたつ載(の)せた。ふたつ目は無意識(むいしき)に出していた。ひと呼吸見て、それから棚(たな)に戻(もど)した。

お盆の上の湯呑みは、ひとつだけになった。

書斎に戻ると、葵は画面をひと呼吸閉じた。

閉じた画面の上の緑のログは、まだひと呼吸、ひと呼吸流れているはずだった。

はずだった画面を、葵は半分伏せて、湯呑みを受け取った。

「ありがとう」

「うん」

「美月さん。座って。向かいね」

「向かい」

美月は葵の向かいの椅子に座った。

座った椅子の上で、両手を膝の上に揃えた。

揃えた両手の左の薬指(くすりゆび)の上で、銀色(ぎんいろ)のリングがひと呼吸光った。

光ったリングを、葵はひと呼吸目で追(お)った。

追った目を、ノートパソコンの画面に戻(もど)した。

戻した画面をひと呼吸、半分開(あ)けた。

「今日見て、想定(そうてい)よりふた呼吸ぶん、早くなってる」

「ふた呼吸」

「うん」

葵は湯呑みを、ひと呼吸両手で包(つつ)んだ。

包んだ両手の内側で、湯呑みの温度(おんど)がゆっくり伝(つた)わっていった。

伝わった温度のいちばん奥で、葵は自分の声をひと呼吸整(ととの)えた。

整えた声で、こう言った。

「美月さん、私、ひとつ、ずっと言ってなかったことがあって。先生に約束(やくそく)させられてたことが、ひとつあって」

「先生?」

「健一郎先生」

「うん。お父さんに?」

「うん」

「お父さんに約束、何を?」

葵はノートパソコンの画面を、もうひと呼吸ぶん開けた。

開けた画面の奥に、緑のログとは別(べつ)の白いウィンドウがひと枚開いていて、フォルダのツリーが表示(ひょうじ)されていた。

ツリーのいちばん深い階層(かいそう)に、灰色(はいいろ)のフォルダがひとつ。名前は「/system/locked/」、だった。

その内側には、ファイルがひとつだけ入っていた。名前の頭(あたま)の二文字は「DC」、で始まっていた。

「美月さん。このフォルダは、先生が美月さん自身の手で見(み)つけ出すまで、誰(だれ)の手も入れてはいけない、と決めていた」

「誰の手も?」

「私の手も。中身は見ない、書き換えない、削除(さくじょ)しない、コピーしない。先生が決めた一線(いっせん)を、私はそのまま預(あず)かった」

「預かった」

「うん」

「葵さんが受けた?」

「私が受けた。だから、私はいままで、このフォルダのことは美月さんに言ってなかった。ごめんね」

「ううん。葵さんが悪いんじゃない」

「……ありがとう」

「葵さん。最初(さいしょ)に家に来てくれた日に、ひとつだけ言ってたよね。『装置(そうち)の方から指示(しじ)が来たら、その時は、その指示に従ってくれ』って」

「……言った」

「『その時が来れば、装置の方から知らせが来る』、って」

「うん」

「あれ、これだったの」

葵は、ひと呼吸、画面の灰色のフォルダの方を見た。

「……うん。これだった。装置の方から知らせが来るのを、五年、知らないまま待(ま)ってた。今日、来た」

葵は、ひと呼吸、画面の端(はし)のログの末尾(まつび)の行(ぎょう)を、目で追(お)った。

追った行(ぎょう)の頭(あたま)のタイムスタンプは、今日のものではなかった。

「……正確には、書き加(くわ)わったのは、しばらく前。私が気(き)づいたのが、今日」

「しばらく前」

「うん」

美月は、葵の画面の灰色のフォルダの内側の「DC」、で始まるファイル名を、いま、初(はじ)めて自分の目で読(よ)み取っていた。

「葵さん。これ、開いていい?」

「ええ。ただし私は開けない。先生との約束だから。美月さんが開けて。美月さんとケンの間に別(べつ)の約束があるなら、それは別の話だけど」

「別の話」

「うん」

美月はひと呼吸、椅子の上で姿勢(しせい)を変えた。

変えた姿勢の向こう側で、円筒形(えんとうけい)のデバイスの青い光が、ひと呼吸、ふた呼吸揺(ゆ)れた。

揺れのいちばん最後で、ふた呼吸目の揺れが半拍遅れた。

遅れた半拍の向こうで、ケンの声がひと呼吸立ち上がった。

『美月。私は、君に開けるなとは言わない』

「言わない?父さんは、何か知ってる?」

『私は、私の内部(ないぶ)に何があるかは知っている』

「中身、知ってる?」

『知っている』

「いつから?」

『その質問(しつもん)の答えは、いま、まだ出さない』

「出さない?」

『出さないでいい質問だ。いまは』

「うん」

美月はひと呼吸、息(いき)を吐(は)いた。

吐いた息の白さの向こう側で、葵が湯呑みをひと呼吸置いた。

置いた湯呑みの底(そこ)が、テーブルの木目(もくめ)の上でひと呼吸、軽(かる)く鳴(な)った。

鳴った音のいちばん最後で、葵はこう言った。

「美月さん、今日、開けてもいいし、開けなくてもいい。ただ、開けるなら、私が隣にいる間に開けてほしい」

「葵さん、隣にいてくれる?」

「いる。先生との約束、私は守(まも)る。でも、美月さんが開けたあと、必要(ひつよう)なら技術的(ぎじゅつてき)な説明(せつめい)はする」

「うん」

書斎の机の上の円筒形のデバイスの青い光は、葵のノートパソコンの画面の明るさより、ほんのわずかに暗かった。

暗さの奥で、青い光は半拍遅れたひと呼吸を、もう一度繰り返した。

繰り返した半拍の向こう側で、葵の画面の灰色のフォルダの内側のファイル名が、白いウィンドウの上でひと呼吸薄く点滅(てんめつ)した。

点滅したファイル名は、こう書かれていた。

DC_20XX_終了.txt

「葵さん。DC、って何の略(りゃく)?」

「Dismissal Code、日本語(にほんご)で解雇(かいこ)コード。つまり、解雇命令(めいれい)のファイルってこと」

「誰(だれ)の?」

「ケンの」

「父さんの解雇通知(つうち)」

「そう」

「うん」

美月はひと呼吸、目を閉(と)じた。

閉じたまぶたの裏(うら)で、書斎の青い光がひと呼吸揺れた。

揺れのいちばん最後で、半拍遅れたひと呼吸が薄く灯(とも)った。

灯った半拍の奥(おく)で、ケンの声がひと呼吸ぶん、立(た)ち上がる気配(けはい)がした。

した気配を、美月はまぶたの裏でひと呼吸待(ま)った。

待ったひと呼吸のいちばん最後で、ケンは何も言わなかった。

言わなかったまま、書斎の夕方(ゆうがた)の光が、ひと呼吸、ひと呼吸ゆっくりと傾(かたむ)いていった。

第43話 葵の訪問

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『父のAI』は、父が遺した対話AIと娘の、家族の時間をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。