第26話 026

同級生

料理雑誌の対決企画で桐生 涼きりゅう りょうと一皿を競ってから、一年あまりが過ぎ、夏の終わりが近かった。

銀杏亭いちょうていのメニューには、「誌面の対決の一皿」という名前のオムレツが、一品増えていた。値段は、いつものオムレツよりも二百円高かった。家のハンドバッグの内ポケットに、まだたたんでしまってある、対決の夜の紙の数字の通りの一皿だった。

注文は、思ったよりも入った。週末の昼のピーク時には、四皿、五皿と、立て続けに出ることもあった。


その日の昼の十二時を回ったころ、銀杏亭のホールに、紺の作業服を着た若い職人しょくにんが三人、並んで入ってきた。

三人とも、耳元みみもとに銀色の小型デバイスを着けていた。

ホールに出ていた西村にしむらが、注文を取りに行った。

戻ってきた西村は、厨房ちゅうぼうのコンロの前の美月みつきに、軽く首をかしげた。

「『誌面の対決の一皿』、三つ」

「はい」

「変わった三人組だった。耳にデバイスつけて誰かと話していたよ」

「はあ。変わってますね」

美月は三皿、黙って焼いた。

塩、一・二グラム。バター、十グラム。チーズ、いつもより五グラム強多めに。フライパンの向こう側のふちを〇・五秒、長く火に預けた。

皿が三つ、ホールに運ばれていった。

しばらく、ホールから何の音もしなかった。

それから、フォークを置く小さな音が、三つ、ほぼ同時に重なった。

伝票でんぴょうを切るレジの前で、いちばん年若そうな職人が西村に声をかけた。

「この店は、夜は何時までやっていますか?」

「21時までやってます。20時ラストオーダーです」

「うち、古民家こみんかをやっている工務店こうむてんなのですが、うちの社長、今日の夜にここ食いに来るって言ってたんで、聞いといてくれと頼まれたもので」

「はあ」

「社長、佐倉さくらさんの中学一緒だったって。雑誌をみてびっくりしたそうです」

ホールの奥のコンロの前まで、その声は届かなかった。

西村は伝票のペンを止めて、ふっと顔を上げた。

「中学」

「『高梨透たかなしとおるです』って伝えてください、って言われました」

「タカナシ トオル」


三人が出ていったあと、西村は厨房に入ってきた。

伝票の裏を、コンロの前の美月の見えるところに置いた。

「美月さん。中学、覚えてるか?三人のところの社長が、美月さんのご同級生どうきゅうせいだそうだ。高梨 透たかなし とおるというそうだ」

口の中で、その名前を一度、声に出さずに繰り返した。

「……たしか中二の冬、いきなり登校しなくなって、そのまま戻ってこなかった子です」

「いじめにでもあったのか?」

「いえ、クラスでも人気ものでした。知り合いいわく、学校にいく必要がなくなったとか」

「君は?」

「『変わり者』って言ってた、たぶん」


その日のラストオーダーの間際、ホールのドアのベルが鳴った。

ピークの時間はもう過ぎていた。テーブルの上の客はあと一組だけ、奥のテーブルでコーヒーを飲み終わるところだった。

紺の作業服の男が、ひとりで入ってきた。

耳元に、昼の三人と同じ銀色のデバイス。

頭はり上げているわけでもないが、現場で何度も汗を吸ったような短い髪。日に焼けた首筋くびすじ

奥の二人席に、男はひとりで座った。

メニューは見ずに、男は西村に言った。

「『誌面の対決の一皿』、ひとつ。あと、ご飯、小盛り」

「はい」

「工務店をやっています高梨と申します。佐倉さん、お元気ですか。以前、中学校が同じで雑誌をみて驚きました」

「ああ、昼間の。佐倉は元気に働いております」

「店が終わったあとでもいいので、お会いしていただいてもよろしいでしょうか。少し話がしたい。無理にとはいいませんが」

「佐倉の方に聞いてみます」

「ありがとうございます」

西村が厨房に戻ってきた。

「昼の例のあいつ来たぞ。高梨ってやつ」

「来ましたか」

「少し話したいそうだ。どうする?」

「焼いてからしばらくして話すわ。お客さんもいなくなったことだし」

「分かった」

美月はコンロの前に立ち直した。

塩、一・二グラム。バター、十グラム。チーズ、+五。卵液らんえきをかき混ぜる手のスピードを、いつもより半拍だけ落とした。

フライパンの向こう側の縁を〇・五秒、いつもの通り長く火に預けた。

皿が一枚、ホールに運ばれていった。

ホールから、フォークの音が、ひとつ、聞こえた。その音が、しばらく止まなかった。

やがて、フォークが皿の上に置かれる、短い金属の音が一度した。

美月はエプロンの前を軽く整えてから、ホールに出た。

奥の二人席のテーブルの上には、空になった皿がひとつ。

皿の縁に、わずかなげの粉と、はみ出して固まったチーズの跡が、そのまま残っていた。

男は、こちらに向かって軽く頭を下げた。

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございます」

「焼いてくれた方ですか。佐倉さんで、合ってます?」

「合ってます」

「中学一緒だった、高梨です。覚えてます?」

「覚えてる、たぶん」

「『たぶん』って」

「中学2年生から登校しなくなったから」

「あ、そう、そうです」

男は両手でテーブルの端を軽く押さえてから、椅子いすに座り直した。

「座ってもいいですか」

「どうぞ」

美月は向かいの席に腰を下ろした。

向かいに座ると、男の耳元の銀色のデバイスが、ホールの蛍光灯けいこうとうの下でわずかに反射した。

「中学2年生から登校しなくなったの、何でだったの」

「あ、そこから来ますか?」

「いきなりすぎる?」

「いえ、いいです。──ただ、長くなるので、今日はやめておきます。中学校に、行く意味がわからなくなった。それだけ、いまは」

「……それだけ?」

「話すと長くなるので」

「いつか、ちゃんと、話してくれる?」

「話します。佐倉さんに、ちゃんと聞いてもらいたい話なので。今日のお礼に、いつか」

男は軽く笑った。

両側の口角が、同じ高さで上がる種類の笑い方だった。

笑った笑いは、対決の相手だった桐生 涼が撮影さつえいスタジオで見せた、口の左側だけ上がる種類の笑いとは、まったく違って見えた。

「いま、何してるの」

「父の継いで、工務店、やってます。古民家の改修かいしゅう、中心で。社員、二十人ちょっと。みんな、私と同じで、学校にあまり行かなかった連中です」

「……」

「うちの社員、難しいことが苦手なので、ひとりずつにAI持たせて回してます」

男は耳元の銀色のデバイスを、軽く指で叩いた。

構造計算こうぞうけいさんも、施工手順せこうてじゅんも、AIが脳の代わりになってくれる。私ひとりでは絶対にできない仕事が、それで回る。──社員のぶん、配ってます」

男は、テーブルの端から自分の名刺めいしを一枚、ゆっくりと取り出した。

伝票の上に、その名刺を載せた。

高梨工務店たかなしこうむてん 三代目さんだいめ

高梨 透

「お会いできて、よかったです。また、食べに来ていいですか」

「来てください」

「『誌面の対決の一皿』、好きです」

「ありがとう」

「『端の焦げ』、特に、好きです」

男はもう一度、テーブルの端を両手で軽く押さえてから、立ち上がった。

レジで会計を済ませて、ホールのドアの方へ歩いていった。

ホールのドアのベルが、軽く揺れた。

ベルの音の余韻よいんが消えるまで、美月はテーブルの椅子から動かなかった。


夜、家に帰った。

書斎しょさいの青い光は、いつもの強さで灯っていた。

『お帰り』

「ただいま」

『今日は何かあった』

「あった」

美月は、机の上に、その名刺を置いた。

青い光が、紙の白の上に薄くにじんだ。

「中学の同級生。中学二年生から不登校ふとうこうになって、そのまま辞めた人。いま、父親の工務店をいでる。社員ひとりひとりに、耳元のAIを持たせて回してるって」

ケンの応答は、いつもよりわずかに間があった。

桐生の名前を、最初に聞いたときの種類の間とは違う間だった。

『……同級生。そういう同級生が、君のクラスにいたか』

「いた」

『私はその情報を、君から聞いたことがない』

「うん、話してなかったかも」

『なぜ、いま話す』

「今日、店に来たから。一人で」


ケンはしばらく黙った。

机の上の青い光が、いつもの強さで灯っていた。

『美月。「あの人」と君は呼ばなかった。『同級生』って呼んだ。君の語彙ごいの中では、めずらしい』

「……そう?」

『そうだ』

美月は名刺を、しばらく見ていた。

紙の白の上の「高梨 透」の文字は、桐生 涼の文字を初めて企画書きかくしょの上で見た夜のようには、点滅てんめつしなかった。紙の余白よはくに、静かに馴染なじんでいた。

「父さん。いま、その人について、何か調査ちょうさした?」

『調査していない。君が、まだ私に頼んでいないからだ』

「……そう」

『同級生、という単語を、君が今夜、口にしたこと。私は、それだけを残しておく』

美月は名刺を、机の上から取り上げた。

ハンドバッグの内ポケットに、塩、バター、チーズ、焦げ、の紙と並べてしまった。

書斎のドアの隙間すきまの青い光は、いつもの細さで廊下ろうかに伸びていた。桐生の文字を最初に聞いた夜と同じ細さで、温度だけが、少し違っていた。

第26話 同級生

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『父のAI』は、父が遺した対話AIと娘の、家族の時間をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。