第52話

控室のモニター

式場(しきじょう)の新婦(しんぷ)控室のドアを開(あ)けた。

ヘアメイクの二人と葵(あおい)と莉子(りこ)が、こちらを見た。葵が、薄(うす)く笑(わら)った。

葵の足元(あしもと)の横に、見覚(みおぼ)えのある円筒形(えんとうけい)のデバイスが置かれていた。

「美月(みつき)さん」

「葵さん」

「ケン、連(つ)れてきた。美月さんが家を出たあと、預(あず)かってた合鍵(あいかぎ)で先に家に上がって、本体(ほんたい)を私の車に移(うつ)して、式場の控室のモニターと、披露宴(ひろうえん)の会場(かいじょう)のスピーカーに配線(はいせん)した。外の回線(かいせん)には乗(の)せたくないから、ぜんぶ有線(ゆうせん)。耳飾(みみかざ)りのぶんは、控室の隅(すみ)にケン本体直結(ちょっけつ)の小さい無線(むせん)を立てた。家のLANのぶんを、控室のひと部屋(へや)ぶんだけ、ここに引(ひ)き写(うつ)した、っていう恰好(かっこう)」

「うん」

「つなぎ替(か)えで、足(あし)がつるかと思った」

「葵さん、足、大丈夫(だいじょうぶ)?」

「平気(へいき)」

「うん」

葵の足元の円筒形のデバイスの青い光は、家の書斎(しょさい)と同じ強さで灯(とも)っていた。いちばん最後のひと拍(はく)遅(おく)れたひと呼吸(こきゅう)を、葵は横で見ていた。

「美月さん」

「うん」

「ひと拍、増(ふ)えたね。ノイズも増えた」

「増えた」

「明日(あす)の朝までもつよ」

「葵さん、判定(はんてい)?」

「判定。嘘(うそ)はつかない」

「うん」

控室のいちばん奥(おく)の鏡(かがみ)の前の椅子(いす)に、美月は座(すわ)った。ヘアメイクの薬剤(やくざい)の香(かお)りが、ふだんは味(あじ)わわない種類(しゅるい)で立った。

莉子は椅子の横に立っていた。莉子の目の奥に、ふだんは出さない種類の湿(しめ)りがあった。

「美月」

「うん」

「ケン、来てるよ。青いの、見た」

「うん」

「莉子、ケンに挨拶(あいさつ)した?」

「した。美月の父さんに、初(はじ)めまして、って。『初めまして、お父さん。私、莉子です。美月の親友(しんゆう)です。よろしくお願いします』、って」

「ケン、なんて?」

「『初めまして。莉子のことは、ずっと聞いていた。よろしく』、って」

「うん」

ヘアメイクのいちばん最後で、ドレスの内側に入った。両肩(りょうかた)に、ふだんは立てない線(せん)が立った。

控室の壁(かべ)のモニターに、青い光が灯った。書斎の青い光と同じ強さが、画面(がめん)の内側で揺(ゆ)れた。

ケンの声が、控室のスピーカーから立ち上がった。

『美月。いま、ドレス、見(み)える』

「耳飾り、控室で繋(つな)がった?」

『繋がった』

「父さん、見てどう?」

『……』

「父さん」

『半拍ぶん、答(こた)えに遅延(ちえん)が出る質問(しつもん)だ』

「うん。待(ま)つ」

『ありがとう』

「待つよ」

ケンはひと呼吸、ふた呼吸ぶん、何も言わなかった。

言わなかったひと呼吸のいちばん最後で、ケンはこう続(つづ)けた。

『耳飾りから届(とど)くいまの君に、健一郎(けんいちろう)における五歳(ごさい)の頃の君が、薄く重(かさ)なって見える』

「五歳」

『台所(だいどころ)の椅子の上に薄く立って、結衣(ゆい)の後(うし)ろから、こちらを見ていた朝と、ひと呼吸ぶんだけ、輪郭(りんかく)が重なる』

「お母さん」

『重なったぶんは、私が観測(かんそく)してきた五年(ごねん)ぶんの、いちばん遠(とお)いぶんまで歩(ある)いたぶんだ』

「歩いた」

『歩いたぶんに、私の出力(しゅつりょく)ポートに上がる答えは、ひとつしかない』

「うん」

『……綺麗(きれい)だ』

「綺麗」、のひと文字の向こう側で、葵が目のはしを押(お)さえた。

ヘアメイクの二人のうち、ひとりはヘアピンの先を半拍ぶん止(と)めて、それから何も言わずに、もう一度同じ位置(いち)に刺(さ)し直(なお)した。もうひとりは、視線(しせん)をひと呼吸ぶん青い光のほうへ流(なが)して、ふだんの手(て)つきにすぐ戻った。

美月は鏡の中の自分を、見た。

「父さん、嘘ついた?」

『ついていない』

「うん。父さん、ありがとう」

『……ありがとう』

「父さん、ずるい」

『ずるいまま、いる』

「うん」

葵は控室のドアの横の椅子に座って、ノートパソコンを開いた。段取(だんど)りはあらかた、家を出る前に詰(つ)めてあった。

「あとは、一礼(いちれい)が終わったら、こっちで会場のスピーカーの線(せん)を切(き)る。家まで、ケンの青いのは、葵の手の中で灯ったまま」

「灯ったまま」

美月は左の薬指(くすりゆび)の銀色(ぎんいろ)のリングを、右のてのひらで覆(おお)った。

「……ありがとう、はまだいい。いちばん最後の暗転(あんてん)、終(お)わってから」

「うん」

控室のドアの外で、式場のスタッフの低い声が立った。新郎(しんろう)の控室のほうから、足音(あしおと)が聞(き)こえた。

莉子は両手を太(ふと)ももの上で軽く握(にぎ)った。

「美月。行こう。お父さん、控室のモニター繋いだまま、披露宴会場のスピーカーに繋ぎ変(か)える。お父さん、ぜんぶ見てる」

「見てる」

「うん」

控室の円筒形のデバイスの青い光は、ふだんの強さで灯っていた。いちばん最後で、ひと拍遅れたひと呼吸が、もう一度繰(く)り返(かえ)された。

ケンはこう続けた。

『美月。行きなさい。父さんは、ここからぜんぶ見ている。見たら、出力ポートにひとつ上げる』

「うん」

第52話 控室のモニター

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『父のAI』は、父が遺した対話AIと娘の、家族の時間をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。