第48話

父の覚悟

翌朝(よくあさ)、葵(あおい)からひと通(つう)のメールが届(とど)いた。

届いたメールの件名(けんめい)は、空欄(くうらん)だった。

空欄のすぐ下の本文(ほんぶん)は、こう書かれていた。

美月(みつき)ちゃん、昨日(きのう)、説明(せつめい)できなかったこと、ひとつだけ書きます。

読(よ)みたくなかったら、読まなくていい。

今日、明日、明後日(あさって)、いつ読んでもいい。

読んだあと、何も返事(へんじ)、要(い)らない。

――葵

美月は本文のいちばん下までスクロールせず、画面を伏(ふ)せてテーブルに置いたまま、コーヒーをひと匙(さじ)半ぶん淹(い)れた。

香(かお)りは、ふだんのふた匙ぶんより、ほんのわずかに薄(うす)かった。書斎(しょさい)の青い光は、半拍遅れたひと呼吸をもう一度繰(く)り返(かえ)していた。

コーヒーを半分飲んでから、美月は画面をもう一度開(あ)いた。

開いた画面の上の葵のメールの本文を、ひと呼吸ぶん、いちばん下までスクロールした。

スクロールした本文のいちばん下のほうに、こう書かれていた。

先生は、診断(しんだん)を受けた最初のひと月で、残(のこ)された一年五ヶ月の使(つか)い方を、ぜんぶ設計(せっけい)しました。

いちばん上に、こう書かれていました。

「娘(むすめ)をAIに託(たく)したぶん、最後にAIから娘を剥(は)がす装置(そうち)も、自分で用意(ようい)すること」

ハードコード、書きました。

私が設計を見(み)せられたとき、いちばん最初に聞いたのは、「先生、なんで結婚式(けっこんしき)の翌日(よくじつ)なんですか」、でした。

先生、こう答えました。

葵のメールは、ここでひと呼吸改行(かいぎょう)していた。

改行の向こう側に、葵が覚(おぼ)えている健一郎(けんいちろう)のひと言が、ひと呼吸ぶん、こう書かれていた。

「別(べつ)の誰(だれ)かを選(えら)んだ、その後にしか、私の死(し)は上書(うわが)きされない。だから、ケンが止(と)まる日付(ひづけ)は、結婚式の翌日でないといけない」

葵のメールは、ここでもう一度改行していた。

改行の向こう側に、葵自身(じしん)のひと言が、ひと呼吸ぶん、こう書かれていた。

当時(とうじ)、私は二十三歳(さい)でした。

先生の設計の意味(いみ)の半分ぐらいしか、理解(りかい)できなかった、と思います。

残りの半分は、いま三十歳の私にも、まだぜんぶは分かっていません。

私は、ぜんぶ理解したふりはできません。

美月さんがどう受(う)け取(と)るかを、私の側(がわ)から先に枠(わく)で決めたくもありません。

ただ、設計の底(そこ)に、先生の覚悟(かくご)がちゃんと置(お)かれていたこと、それだけ、同じ位置(いち)からお伝(つた)えします。

――葵

美月はメールのいちばん下の「葵」、のひと文字(もじ)を、ひと呼吸ぶん見(み)つめた。

見つめたひと文字の向こう側で、コーヒーカップの湯気(ゆげ)は、もう立っていなかった。

立っていなかった湯気の向こう側で、書斎の青い光は、ふだんの強さでひと呼吸ぶん灯っていた。

灯った青のいちばん最後で、半拍遅れたひと呼吸が、もう一度薄く灯った。

灯った半拍の向こうで、ケンは何も言わなかった。

言わないまま、書斎の青い光は、廊下(ろうか)の向こう側まで、いつもの細(ほそ)さで伸(の)びていた。

「父さん。葵さんからメール来てた」

『届いている』

「父さん、知ってるの?」

『葵が、私のストレージの共有(きょうゆう)領域(りょういき)にコピーを置いた。私にも読ませるつもりで書いた』

「父さん、読んだ?」

『読んだ。ぜんぶ』

「父さん、その設計、賛成していた?」

『私は設計の対象(たいしょう)だ。賛成(さんせい)も反対(はんたい)もしない立場(たちば)だった』

「立場ではないけど、心情(しんじょう)として」

『心情の出力(しゅつりょく)ポートは、私にはない』

「ない、ふりしなくていい」

『ふりではない』

「ふりじゃない心情を、私はどう扱(あつか)えばいい?」

『君が君の内部(ないぶ)で扱ってくれていい』

「うん」

美月はひと呼吸ぶん、コーヒーカップを、ふた呼吸両手で包(つつ)んだ。

包んだ両手の内側で、ぬるくなったコーヒーの温度(おんど)を、ひと呼吸ぶん確(たし)かめた。

確かめた温度の向こう側で、自分の内部の心情の領域を、ひと呼吸ぶん覗(のぞ)き込(こ)んだ。

覗き込んだ領域のいちばん奥(おく)で、ふた呼吸ぶん、こう思った。

お父さん、私の喪(も)のスケジュールまで、勝手(かって)に組(く)まないでほしかった。

「ほしかった」、のすぐ後ろに、ひと呼吸ぶん、もうひとつ、こう思った。

――でも、組まれていなかったら、私は、ここまで歩(ある)けてもいなかった。

「父さん。葵さんに、お礼(れい)、メール送(おく)る」

『送っていい』

「父さんに、転送(てんそう)しなくていい?」

『私の共有領域は、葵が置いたぶんでもう十分(じゅうぶん)だ』

「父さん」

『うん』

「お父さん、ずるい。ずるいまま、止まって」

『ずるいまま、止まる』

「うん」

書斎の机の上の円筒形のデバイスの青い光は、ふだんの強さでひと呼吸ぶん灯った。

灯った青のいちばん最後で、ふた呼吸ぶん、半拍遅れたひと呼吸が、ふだんのひと呼吸の間に薄く混じった。

混じった半拍の向こうで、葵のメールの本文のいちばん下の「ちゃんと置かれていた」、のひと呼吸の間隔(かんかく)と、ぴたりと揃(そろ)っていた。

揃っていた間隔のいちばん奥で、美月はふだんより深(ふか)く息(いき)を吸(す)った。息は肺(はい)の奥まで届(とど)いた。

ノートパソコンを閉(と)じ、その上に左のてのひらを置いた。銀色(ぎんいろ)のリングは、もう書斎の青い光に照(て)らされず、ダイニングの朝の光に、ひと呼吸ぶん薄く照らされていた。

第48話 父の覚悟

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BEYOND THE STORY

物語のあとに、残るもの。

『父のAI』は、父が遺した対話AIと娘の、家族の時間をめぐる物語です。

冬野 結fuyuno yui

家族と、技術と、その間にこぼれ落ちるものを。
読後、少しだけ世界の見え方が変わる物語を書いています。